瀚海賦
5
歓迎の宴の後、 王颯は早速叔母のゲルに挨拶に行った。
「本当に私の若い頃にそっくりね。」 王颯の前に座った女性は、 懐かしそうに目を細めながら微笑んで言った。 「兄上達もご健勝でいらっしゃるのかしら。 懐かしいわ。 久しぶりだもの、 漢の、 それも血の繋がった 人に会えるなんて。 ああ、 故郷の香りがするわ。」 嬉しそうに王颯が献上した土産物に手を出す寧胡閼氏(王昭君)を、 王颯は不思議な気持ちで眺めた。 寧胡閼氏がこの匈奴の地に嫁いできたのは確か42年ほど前のことだ。 単純に考えても50代後半、 60近い年になっているはずなのに、 目の前にいる女性はどう見ても40代ほどにしか見えない。 そして その顔は年の差、 男と女の違いはあれ、 驚くほど王颯によく似ていた。 ”なるほど、 皆が口をそろえて言うのも無理無い。 父や母よりもこちらの方が余程よく似ている。 だが ここまで似ているとかえって良い気分じゃないな。” 初めて会った叔母にそれ程親しみも感じず、 王颯は話もそこそこに切り上げて寧胡閼氏のゲルを退出 した。 漢から遠く離れ何十年も匈奴の土地で生きてきた彼女は、 足りず漢の話を聞きたがっていたが、 旅の疲れを理由にすると、 また後日改めてということで、 王颯が下がるのを許した。
目の前に蘇屠胡が立っていた。 「……何か?」 さっと身構え、 緊張した声で問い掛ける王颯に、 蘇屠胡はその警戒した態度に気付いた様子も見せず、 のんびりと近寄ってきた。 「漢の皇帝も基前の良いことだ。 あれほどの美女をぽんと単干に差し出すのだからな。 寧胡閼氏が初め てこの地に着いたときは、 国中の男が単干を羨ましがったというのもあながち嘘ではないだろうな。 年を 取った今でさえあれほど美しいのだからな。 俺もガキの頃は彼女の姿を見るのが楽しみだったものだ。」 「元帝は匈奴への友好の証として誠意を表わされたのです。」 王颯の言葉に、 蘇屠胡はちらりと彼を見た。 「俺が聞きかじった話では、 元帝は宮廷画家の書いた絵姿の中から一番醜い女を選んだつもりが、 一番 の美女だったので地団太踏んで悔しがったというが。」 「!」 王颯はキッと蘇屠胡を睨んだ。 「元帝を、 漢を愚弄するつもりかっ」 剣に手をかける王颯に、 蘇屠胡は笑って手をあげた。 「落ち着けよ。 こんな所で剣を抜くつもりか。 悪かった、 今のは俺の失言だ。 だから剣から手を離せ。 言っておくが俺に剣を向けているところを誰かに見られでもしろ。 いくら漢の正式な使者様といえどただで はすまないぞ。」 謝ると言いながら悪びれた様子もない蘇屠胡に、 王颯は内心怒りを抑えきれず罵倒しながら、 剣から 手を離した。 しかし目はまだ憤りで光っている。 その目をじっと見つめながら蘇屠胡はさらに王颯に近づき、 すぐ目の前に立つと彼の顔をのぞき込んだ。 「怒っていても、 いや怒るとさらに美貌が際立つな。 もしかすると寧胡閼氏以上かもしれんぞ。」 楽しそうに言う蘇屠胡の言葉の意味を察した途端、 王颯は抑えていた怒りを爆発させるように思いきり 手を振り上げた。 「おっと。」 今にも自分の顔に振り下ろされそうだった手を蘇屠胡はがっちり握り締めると、 そのまま王颯が手を振り ほどく間も与えずに、 彼の体を引き寄せ腕の中にしっかりと抱き込んだ。 「なっ 何をするっ!。 離せっ!」 王颯が力をこめて振りほどこうとするが、 その腕は微塵とも動かない。 それどころか王颯の必死な様子 に楽しそうに笑っている。 「いい匂いがするな。 香でも使っているのか? さすが大国漢のお方だ、 雅なことをなさる。」 蘇屠胡は気持ちよさそうに王颯の首筋に鼻をうずめた。 そのままぺろりと舐める。 「! やめろっ 何をっ」 予測していなかった蘇屠胡の行動に、 王颯は背筋をぞくりとしたものが走るのを感じ慌てて顔を上げた。 その瞬間を逃さず蘇屠胡は自分の口で彼の口を塞ぐ。 「んんっ」 驚いた王颯は何とか逃れようとするが、 どうやっても離れない。 それどころかいっそう腕の力を強めてくる。 もがいている内に息が苦しくなってきた王颯が口を開くと、 すかさず舌がぬるりと入ってきて口内を蹂躙 しだした。 「〜〜〜っ」 もう身動きも取れず、 口を閉じることも出来ず、 ただ男が好き放題に口の中を探るのにまかせていると 息も満足にできないせいでだんだん意識が朦朧としてきた。 体から力が抜けていく。 舌がしびれて感覚がなくなる頃になって、 ようやく蘇屠胡は王颯を腕の中から解放した。 王颯は立っていることも出来ず、 がくがくとその場に崩れ落ちた。 肩ではあはあと息をする。 「なかなか良い味だった。」 蘇屠胡のからかうような言葉が振ってきたが、 力なく睨みつけるだけで何も言うことが出来ない。 「単干から丁重にもてなすよう言い付かっている。 明日からが楽しみだな。」 笑いながら立ち去る蘇屠胡の後ろ姿を、 立ちあがることすら出来ずに王颯はただ声もなく睨みつけて いた。 |