冬の瞳

 

  目覚めると、 すっかり日が昇っていた。

  エリヤは侍女の持ってきた朝食を簡単にとると、 部屋を出て外庭にある厩舎に向かった。

  そこにいた馬番はエリヤの姿を見ると、 1年前まで彼が使っていた鞍を取り出し葦毛の馬に着け始めた。

 「すまないな。」

 「いえ、 エリヤ様が帰ってきて皆喜んでいます。」

  礼を言うエリヤに、 馬番は嬉しそうに笑いながら鞍を着け終わった馬を引き出してきた。

  差し出された手綱を受け取り、 馬にまたがろうとすると背後から声をかけてくる者があった。

 「どこへ行く?」

  その声にエリヤの手が止まった。

  内心の動揺を抑えて振り向くと、 思った通り冷ややかな青い目が彼を見ていた。

 「……神殿へ。 大神官に用があって……。」

  アーウィンはふんと鼻をならすと、 馬番に自分の馬にも鞍を着けるように頼んだ。

 「アーウィン?」

 「お前を見張ると言ったはずだ。 城を出るまでは自由だと思ったか? 残念だったな。」

  慌てて馬番が引き出してきた馬にさっさとまたがると、 アーウィンはエリヤの戸惑いをあざ笑うように

彼を一瞥すると馬の歩を進めた。

  エリヤも自分の馬にまたがって後に続く。

  しばらく黙って神殿への道を進んでいた。

  エリヤは前を行くアーウィンの姿にこみ上げてくる感情を抑えるのに必死だった。

  1年間ずっと忘れられなかった姿だった。

  彼の冷たい眼差しと侮蔑の言葉を思い出すと悲しみに胸が痛んだ。

  しかし恋しさもまた薄れることがなかった。

  1年経った今、 彼の背中は変わらずエリヤを冷たく拒絶している。

  それでもそんな姿にさえ愛しさがこみあがってきた。

 ”結局私は彼を忘れることは出来ないのだ。”

  エリヤはそんな自分を自嘲するしかなかった。

 「いつ出立するつもりだ。」

  自分の思いにふけっていたエリヤは、 突然のアーウィンの言葉に一瞬反応することが出来なかった。

  頭の中で反芻してやっと自分への問いだと気付く。

 「……準備が出来れば明日にでも。 まずは最初の被害があったというコムリドに向かうつもりだ。 そこ

から近いところから順に被害の地を廻っていく。」

 「いいのか? そんなに急いで城を出ても外で男をあさることは出来ないぞ。 俺がいる限りな。」

  あざけるようにアーウィンが言う。

  エリヤが黙ったままでいると、 ちっと舌打ちして言い捨てた。

 「明日だ。 明日出立する。 それまでに全ての準備を済ませておけ。 明け方外庭にいる、 遅れることは

許さん。」

  そう言うとアーウィンは馬の歩を早めた。





 「お久しぶりです、 エリヤ様。 お元気そうで何より。 それでご用とは?」

  大神官は顔を綻ばせてエリヤを見ると、 用の向きを尋ねた。

 「大神官。 お願いがあります。 ……闇の力を記したという封印された書物、 見せていただけませんか。」

  エリヤの言葉にアーウィンの目がすっと細くなった。

 「あれは……エリヤ様、 何をおっしゃられているのかわかっておられるのか。」

 「わかっています。 しかしどうしても見なければ……その中にユールが蘇った術が記されているはず

です。 方法がわかればそれを破る方法も……。」

  背後からアーウィンの怒りのこもった刺すような視線を感じながら、 エリヤは震えそうになる声を抑えて

静かに言った。

 「しかし……。」

 「お願いです。 どうか私にお見せください。 私はユールをまたこの手で刺し殺したくない。 それにセーナ

の剣は魂までも消滅させてしまう。 闇の術から解放する方法があるのなら……。」

  青ざめた表情で告げるエリヤの顔をしばらくじっと見つめると、 大神官はくるりと背を向けた。

 「大神官?」

 「こちらへ。 案内いたしましょう。」

 



  エリヤの思った通り書物には死者を蘇らせる術が記されていた。 そしてその術を破るだろう方法も。

  神殿の外まで見送る大神官に深く礼を言って、 二人は再び馬上の人になった。

  城に向かいながら、 エリヤはその術のおぞましさとそれを実行したユールを思った。

  何故あんなことが出来たのだろうかと。

  術は彼の生前になされていたのだ。

  エリヤを殺そうとしながら万が一を考えたのだろう。

  もし失敗して自分が死ぬようなことがあっても、 その術によって蘇ることが出来る。

  死の際に術を完成させる最後の呪文を唱えることによって。

  よく考えたものだ。

  その呪文を知らない自分には呪文を唱えることは出来ない。

  ユールの企みが成功して彼がエリヤの体を奪ったあと、 魂の抜けたユールの体に自分の魂が何かの

  間違いで入ったとしても、 そのまま死を迎えるだけだ。

  どちらにしてもユールは自分の目的を果たしていたのだ。

  そのために何十人の命が奪われていたことか。

  死者を蘇生させる術とは他人の命を奪うものでもあったのだ。

  ユールは自分に術をかけるために99人の人間を殺し、 その心臓を闇に奉り、 その力を受けた心臓を

全て食らったのだ。

  しかもまだ動いていただろう心臓を。

  そして死の際に百人目である自分の心臓を闇に捧げる呪文を唱えた。

  それによって術は完成したのだ。

  その身の毛がよだつような術を知ったとき、 エリヤは目の前が暗くなりそうだった。

  あのユールがそのようなおぞましい行為を行なったとは信じられなかった。

  嘘であって欲しいと思った。

  ユールが生き返ったという変えようのない事実を知りながら。

 「あいかわらず殊勝な真似をする。」

  アーウィンの言葉にはっと我に返った。

  見ると彼は前から冷ややかにエリヤを見ていた。

 「ユールをもう一度刺し殺すことはできない、 か。 笑わせる、 お前がそのような事を言うとはな。」

 「アーウィン、 ユールは……。」

 「黙れっ あいつがあんなおぞましい真似をするはずがないだろうっ! 人間の心臓をなど……。」

  いきなり吼えるように怒鳴った。

 「アーウィン……。」

 「あいつは死んだんだ! お前が殺したっ これ以上戯言はたくさんだっ」

  アーウィンはぎりりとエリヤを睨みつける。

 「俺は必ずお前達の化けの皮をはいでやる。 あいつの汚名を潅ぐ。 いいか、 必ずだ。」

 そう言うと、 馬の腹を蹴ってエリヤを置いたまま城へと走り去っていった。