冬の瞳
7
ふと気付くといつの間にか日が落ち、
部屋の中は暗くなっていた。 エリヤは顔から両手を離すとその手をじっと見下ろした。 今もまざまざと覚えている。 血に塗れた自分の髪や両手。 顔も同様だったのだろう、 震える手で顔に触れるとぬるりとした感触が あった。 自分の服も返り血を浴び、 青い色の布は真っ赤に染まっていた。 目を床に落とすと、 自分と同様に血まみれのユールが横たわっていた。 もはや何も見ることのない うつろな目をこちらに向けて。 ”私が殺した” 幼い頃からずっと一緒だった、 大切な従兄弟だった。 その彼を自分はこの手で殺してしまったのだ。 最後に見たあの憎悪に満ちた顔を思い出す。 いつから変わってしまったのだろう。 剣を抜いた時からか、 アーウィンと恋仲になったときからか、 それとも・……。 あれほど憎まれるまで気付くことが出来なかった。 もしもっと早く彼に憎まれていることに気付けば、 彼と話し合う機会があれば、 結果は違っていたかも しれない。 今ごろは三人で笑いあっていたかもしれない。 1年間繰り返し考えていた思いにまた捕われる。 そして、 ユールの憎悪の顔がアーウィンの顔に変わっていく。 あの憎しみと嫌悪に満ちた顔。 あの時もそうだった。 ユールを手にかけてしまった時の自分を見る彼も……。
突然あがった叫び声に、 ぼんやりと横たわるユールを見ていたエリヤは声のした方向に顔を向けた。 そこには信じられないという顔をしたアーウィンが呆然と立っていた。 彼は血に染まったエリヤとユールを交互に見ると、 うめくような声をあげた。 「何てことを……。 エリヤ、 お前は……っ」 よろよろと床に横たわる弟の側に近寄ると、 がっくりと膝をついた。 「目をあけろ、 ユール。 開けてくれ……。」 震える手を弟にのばし、 そっと顔をなでる。 大量の血を流し命の絶えた体は、 すでにひんやりと冷たかった。 「……っ」 アーウィンの喉から嗚咽のような声が漏れる。 見開いたままの目を閉ざしてやり、 頬を優しくさする。 「……ちくしょう……っっ」 しばらく弟の顔をじっと見つめていたアーウィンは低くうなるような声でつぶやくと、 傍らにぼうっと 立ったままのエリヤに憎しみのこもった目を向けた。 「何故だ、 何故ユールを殺した……っ。 こいつが何をしたというんだ。 答えろっ エリヤ!」 ぼんやりとしたままのエリヤに激昂したアーウィンが詰め寄る。 「何か言えっ それとも言えないか、 罪もないユールを殺したんだからな。」 憎悪に満ちた声で罵るアーウィンの姿を、 エリヤは夢の中で聞いているような気分だった。 どれも現実のこととは思えない。 頭の中で先程の憎しみにゆがんだユールの顔と目の前の怒鳴るアーウィンの顔がぐるぐる回る。 何も言わないエリヤに号を煮やしたアーウィンが、 彼の胸元を掴んだ。 その時、 一人の男の声が部屋の中に響いた。 「お待ちください、 アーウィン様。」 その声にアーウィンは動きを止めた。 見ると、 扉から大神官が数人の神官と共に部屋の中に入ってきた。 大神官は床に横たわるユールを見ると顔を曇らせ、 背後に控える神官達に何事かつぶやいた。 神官達は緊張した顔つきで大神官の言葉を受け取ると、 ユールの側に近寄り遺体の周りを数人で ぐるりと取り囲むように立った。 一人が何事かつぶやき出すと、 他の神官たちも続いて詠唱を始めた。 「大神官っ どういうことだ、 これは。 何故神官達が清めの神言を唱える。 弟は殺されたのだぞ、 ここにいるエリヤにっ」 その異様な様子に驚いたアーウィンが大神官に噛み付くように問いただす。 「アーウィン様、 どうかお静かに。 彼らはユールの身体を浄化しているのです。」 「何故だ、 あいつが何をしたというんだ。」 浄化という不穏な響きにアーウィンは眉を顰めた。 「……ユールは禁忌とされる闇の力に手を染めていました。 今この場で急ぎ身体を清めないと、 彼の心が死して後も闇に沈んでしまいます。」 「闇だと?! ばかなっ あいつがそんな真似をするはずがない。 ふざけたことを言うなっっ!」 「信じられないのはごもっともです。 我々も気付いたのはごく最近ですから。 ユールは巧妙にその 力を隠していた。」 「偽りを申すなっ 弟を侮辱する気か!」 弟を溺愛していたアーウィンは、 あまりの話に顔を真っ赤にして怒り狂っていた。 そしてその矛先は神官の一人に支えられるように立っているエリヤに向けられた。 「お前の仕業かっ エリヤ。 お前がこのような戯言を大神官に吹きこんだのか。」 思いもかけない言葉にエリヤは蒼白になった。 「そんな……っ 違うアーウィン、 私は……」 「ユールを陥れようとしたのか。 何故だ、 自分の乱行をユールが俺に教えたからか? それとも お前と違って清らかなユールが憎かったか。」 「聞いてくれ、 アーウィン……」 「お前の愚考に気付いたユールを、 だから殺したのか? そして死んだ後もこのような辱めを……っ」 自分の話に耳を貸そうともしないアーウィンに、 エリヤはもはや何も言えずただ首を振るだけだった。 「今すぐやめさせろっ 弟をこれ以上侮辱するなっ」 「アーウィン様っ」 「うるさいっっ!!」 エリヤを攻撃するアーウィンを止めようとした大神官に、 吼えるように怒鳴る。 「弟が汚名を着せられようとしているんだぞっ どうして黙っていられるっ!」 「アーウィン様っ 王のご命令にございますっ」 大神官の言葉にアーウィンの体が強張る。 大神官はなおも言葉を続けた。 「ユールが闇に通じていた証拠はそろっております。 私が王に報告いたしました。 王は王家の血を汚 したユールを王の血統から除名すると。 すでにご実家ルトリック公のもとへも使者を送りました。」 アーウィンの顔がみるみる青ざめていった。 「家に……父に知らせたのか。」 「ユールは追放処分にとのことでした。 このようなことになって残念ですが……。」 大神官が暗い顔で遺体を見下ろす。 「エリヤ様のことも王にお知らせせねば……。 いくら罪人とはいえ人を殺してしまわれた。 処罰を 受けていただかなければなりません。」 最後の言葉はエリヤに向かって話された。 青い顔のままエリヤが頷く。 と、 くっくっくっと笑い声がした。 見るとアーウィンが顔をゆがめて笑っていた。 「見事なものだな。 どうせたいした処分でもないのだろう。 王子は狂ったユールに襲われやむなく 殺した。 体面上罪は問われなければならない。 ほとぼりが冷めるまでどこかに蟄居……というところ か? そしてかわいそうなユールは汚名を着せられたまま闇に葬られる。 死人に口なしとはよく言った ものだな。 しばらくすればお綺麗な王子様は城に戻り、 何事もなかったようにすべて元通りになると いうわけだ。 ユールの存在をのぞいてな。」 そう言うとアーウィンはすっと笑顔を消し、 氷のような目でエリヤを見た。 「このままですむと思うな。」 背筋が凍るような声でつぶやくと、 アーウィンは静かに部屋から立ち去った。 エリヤは心が張り裂けそうになりながら、 その後姿をじっと見つめていた。 予想より重い処罰に重臣達は一斉に顔を強張らせたが、 エリヤは黙って王の言葉を受けた。 静かに王の間を去るエリヤの目に重臣達の中にいるルトリック公の顔が映った。 公の顔は苦悩に満ち、 一気に老けこんだように見えた。 しかしエリヤを責める目をしてはいなかった。 エリヤの処分についてはルトリック公の強い圧力があったと聞く。 おそらくその圧力は父親の公爵ではなく、 アーウィンによるものだったのだろう。 ユールを殺したエリヤに対する恨みはこれで少しは癒されるのだろうか。 エリヤはアーウィンの気持ちが少しでも癒えることを祈った。 そして、 エリヤは故国から姿を消した。
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