冬の瞳
6
青ざめ思いつめた表情で、
エリヤは先日訪れた時と同じ神殿の中の一室に立っていた。 「エリヤ? どうしたんだい。 ついこの間来てくれたばかりなのに。」 そんなエリヤの様子に気付いているのかいないのか、 ユールがにこやかに果実酒の杯をすすめた。 「……昨日、 アーウィンが私のところに来た。 ひどく激昂していて私のことを悪し様に罵っていた…… 尻軽、 売女……と。」 「兄さんが?! どうしてそんなひどいことをっ」 ユールが驚いたように聞き返す。 「先日君のところに来た帰り、 見知らぬ男達に襲われ、 アーウィンにもらった短剣を奪われた。 そして 昨日、 街中の酒屋でアーウィンがそれを見つけた。 持っていた男は、 その短剣は私からもらったものと 言っていたそうだ。 ……私とベッドを共にした記念にもらったとね。」 「まさかっ 君がそんなことするはずないだろう。 兄さんはそれを信じたって?」 信じられないという顔をするユールを、 エリヤは正面からじっと見据えた。 「……ユール、 私はどうしてこんなことになったのか、 昨夜からずっと考えていた。 どうしてアーウィン は変わってしまったのか、 どうしてあんなにたやすく見知らぬ男の話を信じたのか、 とね。 考えて考え て……ある疑問を持ったんだ。 何故その男は私のことを知っていたのか、 それもよほど親しい知人しか 知らない普段の癖などを。」 話をすすめていくエリヤの手が、 だんだんと固く握り締められていく。 「そう、 誰かが教えない限りそんなこと男が知るわけないんだ。 じゃあ、 誰があいつに教えたのか。」 エリヤは口を閉ざすと、 ユールを厳しい目で見つめた。 「ちょっと待ってよ。 もしかして僕が教えたとでも?」 冗談だろ、 と笑い飛ばそうとするユールを、 エリヤは詰問するように言った。 「考えればあの時どうしてあんなに図ったように男達が僕を襲ったのか、 僕の短剣を奪うことも最初か ら決まっていたような口ぶりだった。 ……そして、 アーウィンがあんなに簡単に他人の言葉を信じたの は、 前から誰かに私のことを疑うよう吹き込まれていたからだとしたら? だとしたらそんなことができる のは一人しかいない。 アーウィンが信頼するもの、 アーウィンが簡単に言葉に耳を傾け、 そしてなんの 疑いも持たないもの……そんな人間は一人しかいないだろう、 ユール、 君しか。」 エリヤの声は、 怒りのためかかすかに震えていた。 「幼い頃から一緒に育った君なら、 私のことも良く知っている。 あの日私が帰った後、 タイミング良く 男達に襲わせることもできる。 アーウィンがよく行く酒場も知っている。 君なら、 いやこんなことができる のは君しかいないんだよっ。」 最後はほとんど叫ぶように言ったエリヤに、 ユールの表情が変わった。 先程までの心配そうな表情から一変して、 酷薄な笑みを浮かべる。 「……ばかだよね、 君も兄さんも。 あんなに簡単に僕の思い通りになるんだから。」 「やっぱり君がっ。」 「そうだよ。 すべて僕がやった、 というか僕が仕組んだことだよ。 簡単なことさ、 ちょっと兄さんにこう 心配そうに言ってやったんだ、 ”兄さん、 あまり言いたくないんだけど……知ってる? こんな噂が流れ てるんだ。 城下の酒場でエリヤが酔っ払った男達とよく一緒にいるって。 それもあまり身持ちのよくない 連中達と。 ……まさかね、 エリヤに限ってそんなことないよね。 エリヤには兄さんだけだものね。” 兄さん、 顔色変えてうろたえていたよ。 面白いくらいに。 最初はそれでも笑い飛ばしていたけどね。 何度か言ってると、 だんだん真剣な顔して考え込むようになっていったよ。 ほんと、 簡単だった。」 「そんなっ なんて事をっ ……ユール、 どうして君がそんなことを? 僕達のことあんなに祝福して くれたのにっ」 エリヤが信じられないというように首を振った。 「祝福? そんなもの。 エリヤ、 僕はね、 最初から祝福するつもりなんてなかったよ。 それどころか 君と兄さんのこと知ったとき、 どうやって壊してやろうか、 そればかり考えてた。 ……そうさ、 君ばかり どうして幸せになるのさ、 許せないよそんなこと。」 ユールが悪意のこもった声でなおも言い続ける。 「僕は君のことが嫌いだった。 あの、 神殿で君と兄さん二人だけがセーナの剣を抜いたあのときから。 どうして僕にはできないのにってね。 でもそのときはまだ僕も考えたよ、 もしかしたら僕には何か足りな いのかって。 だから考えて考えて、 神官になることにしたんだ。 神官になって一生懸命神に仕えたら 神も僕を認めてくれるだろう、 剣を抜くことを許してくれるだろうってね。 ……でも、 だめだった。 いくら 勉強しても毎日一生懸命お仕えしても、 僕には剣を抜くことはできなかった。 神は僕を認めてくれなかっ たんだ。 そう悟った時、 僕はもう神を信じることはできなかった。 神に絶望したよ。 そんな時、 君達の 事を知った。 信じられない、 許せないって思ったよ。 君はあんなに簡単に剣を抜き、 皆の敬意の的に なった。 その上僕の誰よりも尊敬する大切な兄さんまで自分のものにした。 同じ王家の血を引き、 同じ ように勉強し生きてきたのに、 どうして君にだけ幸運が訪れるんだ? どうして僕じゃないんだ? ……だから壊してやるって思った。 君から幸せを、 ううん、 全て奪ってやるってね。」 あまりにも激しい憎悪だった。 ユールの激しい憎悪の心に愕然としたエリヤは、 知らず後ずさっていた。 と、 その足が突然力を 失い、 エリヤはがくんとその場にくずれおちるように倒れた。 「なっ? ……何?」 なんとか立ちあがろうとするが、 どうしても足に、 いや体に力が入らない。 「どうやら薬が効いてきたみたいだね。」 その言葉に、 エリヤが床に手をついたまま必死に顔をあげる。 「薬? 何を……っ」 苦しむエリヤを見て、 ユールが楽しそうに笑いながら近寄りエリヤの側に膝をついた。 「ふふ、 いいねその顔。 無駄だよ、 その薬良く効くって評判のしびれ薬だから。」 震える顎についと手をやり、 自分の顔を近づける。 「エリヤ、 神を信じなくなった僕はどうしたと思う?」 そのままエリヤの顔をなぞるように指を滑らせていく。 「この神殿にはね、 封印されているものがあるんだ。 ……禁忌とされている闇の力を綴った書物。 その術の全てを収めたたくさんの書物がね。」 「……まさか……ユール、 お前……」 エリヤの目に怖れの色が宿る。 「そう。 闇の力を借りることにしたんだ、 君を破滅させるために、 そして僕の望みをかなえるために。 簡単だったよ。 神官である僕なら封印されている書物のある部屋にも入ることができる。 機会をみて 少しづつ勉強していった。 誰にも気付かれないように少しづつ慎重に。 この時のためにね。」 そう言うとユールは体を離し、 部屋の隅にある卓上の短剣を手に取った。 鞘から剣を抜きながら、 エリヤの方を向き直る。 「闇の術の一つにね、 魂を入れ替えるというのがあるんだ。 ……入れ替えるというのはおかしいかな。 片方の人間を殺し、 その体に魂を移すって言ったほうがいいね。」 ユールの言葉にエリヤが蒼白になった。 「ふふ、 わかったようだね。 そうだよ、 君を殺してその体を僕がもらう。 僕が君になるんだ。 そうすれば 君の全ての幸せが僕のものになる。 剣を抜くことも、 周りの祝福も、 そしていずれはこの国の王にもなれ る。 兄さんだって僕しか見なくなる。 今は僕が言ったデマを信じてるだろうけど、 あの兄さんがそう長い間 騙されたままでいるわけないからね。 いずれおかしいと思って調べ出すだろうし、 そうなると嘘だと気付く。 でもそのときにはもう君は僕に、 いや僕が君になっている。 そうとも知らず、 兄さんは僕を大切にしてくれ るだろうね。」 「……アーウィンは君の兄さんだぞっ……それなのに、 兄と契ろうというのか……っ」 「いけない? 僕は昔から兄さんのことが好きだった。 君なんかよりもずっと前から。」 エリヤの言葉にも平然と答える。 「だからね、 僕のために死んでよ。 そして君の体を僕にちょうだい。」 そう言うと、 ユールは剣の刃先をエリヤに向けた。 「安心してよ。 楽に殺してあげるから。 その体に余計な傷つけたくないしね。」 嬉しそうな表情でユールが剣を振り上げ、 そして振り下ろした。 渾身の力でエリヤはその刃をかわした。 「なんだ、 残念。 その体でよく動けるね。 じっとしててくれなきゃ綺麗に殺せないじゃない。」 ユールがさほど残念そうでもない声で言う。 そしてまた剣を振り上げる。 エリヤが間一髪でそれをかわす。 エリヤはかろうじて動く体で刃をかわしながら、 なんとかユールから剣を奪うことを考えていた。 しかし逃げるうちに壁際まで追い詰められしまう。 「さあ、 もう逃げられないよ。 諦めてその体僕に渡しなよ。」 ユールが勝ち誇った声で剣を振り下ろした。 がちんっ! その刃は必死に身をよじったエリヤのすぐ脇の壁にぶつかった。 固い壁に刃が跳ね返る衝撃に、 一瞬ユールがひるむ。 その瞬間を逃さず、 エリヤが全身の力でユールの腕を抑えこんだ。 なんとか剣をもぎ取ろうとする。 取られまいとするユールともみ合いになった。 そのとき、 「ユール?! エリヤ!!」 突然部屋に響き渡った声に、 ユールの力がふと緩んだ。 そして……
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