冬の瞳
39
街の医師の手当てを受けたエリヤは、
多量に失血したことからなかなか意識を取り戻さなかった。 宿のベッドに横たわり、 ひたすらに眠り続ける。 その側にはアーウィンがずっと付き添っていた。 熱にうなされるエリヤの手を握り締め、 エリヤが完全に意識を取り戻すまで側を離れようとはしなかった。
胸が苦しかった。 体中が痛みにきしむ。 痛い……痛い……苦しい…… 自分に覆いかぶさる男達の影が苦しみに喘ぐエリヤを覗きこんでいる。 そしてさらに苦痛の淵に突き落とそうと手を伸ばしてきた。 体を苛む痛みが激しくなる。 口を何かが塞ぐ。 息が出来ない。 喉の奥まで突き入るものがエリヤの呼吸を奪う。 痛い……苦しい……いや……いや………っ 体の上を這いまわる手がおぞましい。 痛みもだんだんと酷くなる。 体が激痛に引き裂かれそうだった。 遠くで誰かの哄笑がする。 もっと、 もっと穢れてしまえ、と。 エリヤは必死になって男達から逃れようとした。 しかし彼らの手はまるで軟体動物のようにエリヤの体にまとわりついて離れない。 いや……いや……っ! ” ……ヤ……エリヤ……エリヤ! ” どこからか声が聞こえた。 それとともに自分の体が温かい何かに掬いあげられる。 途端、 男達の手が離れていく。 その何かはまるでエリヤを守るかのように優しく体を包み込む。 温かい…… その優しい温もりに、 エリヤは安心して目を閉じた。
重く感じる頭をゆっくりと動かして周りを見まわす。 「気がつかれましたか?」 側にいた男性が、 エリヤが目覚めたことに気付き声をかけた。 覗き込む男の顔を見て、 その人物が城の王家専属医師だと知った。 「ここは………」 熱にかすれた声で問いかけるエリヤに、 医師は笑いかけながら答えた。 「王城です。 エリヤ様の眠っている間に御身をお運びいたしました」 医師はまだ記憶のはっきりしないエリヤに、 意識の失っていた間のことを伝える。 エリヤの容態が安定すると、 すぐさまその身は城に移されたのだ。 アーウィンから知らせを受けた王が、 迎えの者達を街にやったのだ。 城に戻ったエリヤは、 そのことに気付くこともなく今までただ昏々と眠り続けていた。 「城に……戻ってきたのか? 私は……」 エリヤは医師の話を聞いてぽつりと言った。 全ての事に実感が湧かない。 意識を失う前の、 あの悪夢のような出来事すら、 どこか夢の中のことのように思える。 全て終わったのだというのに、 どこかあやふやな感じがする。 「はい、 城に戻るときも戻ってからもアーウィン様がずっとつきっきりで………」 アーウィン! エリヤの脳裏に苦しそうにユールに刃を向ける彼の姿が浮かんだ。 そうだ、 彼はどこにいるのだろう。 部屋の中を見まわすが、 医師以外は誰もいなかった。 早く彼に会いたかった。 会わなければ、 と思った。 会って、 あの哀しい表情をする彼を抱きしめたかった。 意識を失う前、 彼が言った言葉が記憶に甦る。 彼は自分を愛しているとはっきりと言った。 じっと自分を見つめてそう言ってくれた。 あの言葉が嘘でないと確かめたい。 「アーウィンは……彼は、 今?」 エリヤの言葉に、 何故か医師が目を伏せた。 「アーウィン様は………」 続いた言葉にエリヤは驚愕に目を見開いた。
意識を失ったままのエリヤと共に城に戻ったアーウィンは、 エリヤの容態が安定し、 もう大丈夫だという 医師の言葉を聞くと、 すぐさま王のもとにやって来た。 そして、 領地に引き下がる意を告げた。 それとともに、 エリヤに継ぐ王位継承権を放棄する旨も。 「最初は、 いずれは継ぐことになる公爵位さえも返上すると言ったのだが、 さすがにそれはな……」 王はため息をつきながらエリヤに言った。 「どうしても自分が許せないというのだ。 ………弟の罪は兄である自分の罪でもあると」 「そんな………」 アーウィンが宮廷を離れ、 遠い領地に行ってしまったことにエリヤは強い衝撃を受けた。 どうして…… ショックに体が震える。 どうして自分には何も告げずに行ってしまったのか。 どうして自分には何も言わせてくれないのか。 エリヤの目から涙がこぼれる。 会いたい、 と思った。 今すぐにでも彼に会いたかった。 アーウィン……… 遠く去ってしまった人の面影を思い浮かべ、 エリヤは静かに涙を流し続けた。
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