冬の瞳
36
振り返ったユールが見たのは、
肩で息を切らしながら自分を見つめる兄の姿だった。 アーウィンを引きとめているはずの男達は、 皆彼の背後で黒く炭化した無惨な姿で床に倒れていた。 アーウィン自身も苦戦を物語るかのように、 服のあちらこちらが破け血が滲み出ている。 頬にも浅い切り傷が出来ている。 「兄さん……」 ユールは顔をしかめながら自分の兄の顔を見上げた。 「もうやめるんだ、 ユール……」 アーウィンは苦しそうに弟を見つめた。 いつも強い光を放っている瞳が今は暗い。 心の内の苦悩を表しているかのようだった。 「……だめだよ、 兄さん。 今更やめるなんて。 僕はどうしてもこの体を手に入れないと」 「ユールっ!」 きっと自分を睨みつけるユールに、 アーウィンも声を荒げた。 「忘れたの? 僕の体はもう死んでるんだよ。 生きているエリヤの体を手に入れないと僕の体はこのまま 朽ち果ててしまう。 そんなの嫌だ。 僕はまだまだ生きたい」 「それは………」 目の前の、 生前と変わらぬ弟の姿に忘れていた事実を思い出す。 そうだった。 弟は……ユールはもう死んでいるのだ、 1年も前に。 ここにいるのは闇の力で甦った死人なのだ。 決して存在してはならないもの。 セーナの剣で浄化しなければならない忌まわしい存在。 アーウィンの表情が苦悶にゆがむ。 わかっていても、 以前と変わらぬ姿にアーウィンの心が揺れた。 迷うアーウィンの心をその顔に読み取ったのか、 ユールが兄に微笑みかける。 その笑みは生きていた頃と同じ無邪気で愛らしいものだった。 その懐かしい笑みにアーウィンが目を奪われる。 「ねえ、 兄さん。 そんな顔しないで。 すぐに終わるよ、 すぐに元通りになる。 僕はエリヤになって甦る。 そしたら兄さん、 僕を愛してくれるでしょう? その腕で抱いてくれるでしょう?」 微笑みながら甘えるようにアーウィンに擦り寄る。 しかしアーウィンは肩にかけられた手にはっと我に返った。 ぱっと身を離すと、 ユールから離れるようにして床に倒れたままのエリヤを守ろうとする。 「だめだ、 ユール。 ………他人の体を奪って甦っても、 それはもうお前じゃない。 俺の弟だったユールじゃ ないんだ。 そんなお前を俺は認めない」 「どうしてっ?!」 自分の言葉を否定するアーウィンに、 ユールが苛立たしげな声を出した。 「他の人間の体になっても心は僕だっ 兄さんがずっと愛してくれていた弟のユールだ。 兄さんは 今までと同じように僕を愛してくれればいいんだっ 僕だけを見ていればいいんだっ!」 アーウィンは苦しそうに首を振りながらエリヤを優しく抱き起こした。 腕の中に抱えながらユールを見上げる。 「そうだ。 お前は弟だ。 ずっと俺の弟だ。 ……俺は弟としてお前を愛している。 それ以外の目でお前を 見ることはできない」 「だからエリヤになるって言ってるじゃないかっ エリヤなら抱けるんだろうっ だったら……っ」 「違う。 さっきお前も言っただろう。 他人の体でも心はお前だと。 それと一緒だ。 ……俺は他の人間の心を 持ったエリヤを抱くことはできない」 エリヤを抱いた腕に力をこめる。 見下ろすと、 エリヤが青ざめた顔で、 それでもじっとアーウィンを見つめていた。 その曇りのない灰色の瞳にアーウィンは様々な感情がこみ上げてくるのを覚えた。 言葉を続けようとして、 喉に何かが詰まったように声が出なくなる。 自分が今言おうとしている言葉を、 エリヤは受けとめてくれるだろうか。 今まであれほど酷い目にあわせてきた。 今更言っても信じてもらえないかも知れない。 アーウィンの心に初めて怖れというものが生まれた。 それでも言わずにはいられなかった。 だから、 重い口を開いてゆっくりと言葉を紡いだ。 「………俺はエリヤだけを愛している。 エリヤの心を、 その全てを愛している。 他の人間の心を宿した エリヤの体だけを愛することなんてできない」
|