冬の瞳
25
エリヤはベッドの上にゆっくりと身を起こした。 まだ体中にだるさが残っているが、 昨日まで感じていた痛みはほとんど消えていた。 部屋を出る前のアーウィンを思い出して口元に笑みが零れる。 あの、 激しくエリヤを抱いた日から、 アーウィンの態度が微妙に変わってきている。 次の朝、 全身を襲う痛みに体を動かすことすら辛かったエリヤを見て、 アーウィンは彼を外出させようとは しなかった。 「休んでいろ。」 一言、 そうぶっきらぼうにつぶやいただけだったが、 ベッドから下りる彼の手が一瞬エリヤの頬を掠めた。 その手には今まで感じたことのない温もりがあった。 エリヤを見る目にも、 完全ではないが冷たさが消えていっている。 常にあった侮蔑の色はいつのまにかなくなっていた。 そのかわりに、 その目には不安と悲嘆の暗い影が差すようになった。 信じていたユールの裏切りに彼の心が打ちのめされているのがわかる。 毎晩、 部屋を訪れるアーウィンはエリヤを抱くわけでもなく、 ただ腕の中に抱えて眠った。 まるで小さな子供が温もりを求めるようにひたすら自分を抱きしめるアーウィンを、 エリヤは黙って その腕に受け入れた。 少しでも彼を暖められるように、 安らぎを与えられるように眠る彼を抱きしめ続けた。 体の痛みも消えた今日は彼と一緒に町に出ようとしていたのだが、 そんなエリヤをアーウィンはベッドに 押さえ込むようにして外に出ることを許さなかった。 「そんなふらふらした体ではかえって足手まといだ。」 怒ったようなその口調には、 言葉とは裏腹にどこかエリヤの体調への気遣いが感じられた。 今日は一緒に行きたかったのだけれど…… エリヤは一人出ていったアーウィンの姿を思い出し、 心配そうに顔を曇らせた。 今朝、 突然先日会った男から連絡があったのだ。 ユールが泊まっていた宿の主人であるその男の話で、 アーウィンは弟の裏切りを知った。 その男が言い忘れていたことがあると言ってきたのだ。 表情を固くしながらも、 アーウィンはすぐに男の宿に向かうと伝えた。 先日のショックに打ちのめされていたアーウィンの姿を知っているエリヤは一緒に行きたがったが、 アーウィンが彼の同行を許さなかった。 男の話がどのようなものなのか、 もしかするとまたアーウィンを傷つけるものかもしれない。 一人残されたエリヤはこれ以上彼が傷つくことのないよう祈るしかなかった。
アーウィンの身を案じてベッドに座りこんでいたエリヤは、 部屋の扉をノックする音に我に返った。 「エリヤ殿? お邪魔しますよ。」 そう言いながら扉から顔を覗かせたのはセレンだった。 「セレン殿……」 エリヤは慌ててベッドから出ると、 衣服の体裁を整えた。 「ああ、 もしかして具合でも? 悪いときに来てしまったかな?」 セレンはそんなエリヤの様子に申し訳なさそうな顔をした。 「とんでもない。 すみません、このような恥ずかしい姿をお見せして……もう何ともないのですが……」 「ひょっとしてお連れの方が心配されたのですか? 本当に大切にされてますね。」 セレンはからかうようにエリヤの顔を見て笑った。 「そんな……」 なんとも答えることができず、 そっと目を伏せる。 「じゃあ、 今はお一人なんですね。 う〜ん、 どうしよう。 お教えしてもいいのかな。」 「え?」 思わせぶりな言葉にエリヤは首をかしげてセレンを見た。 「何か……?」 「いや、 この間のお話のことなんですが。」 「話……」 「ほら、 彼の弟さんのことですよ。」 思わぬ話にエリヤの顔がすっと真剣になった。 「……どういうお話でしょうか。」 「昨夜たまたま行った酒場でふと思いついて聞いてみたんですよ。 弟さんのことを。 ……もしかしてと思い ましてね。 そしたらどうです、 驚いたことに似た青年を見たという男がいたのですよ。」 「ユールに……っ?」 「本当に彼なのかは分かりませんが、 最近らしいですよ。 あるところに入って行ったと。」 「あるところ?」 「ええ。 今は使われていませんが、 古い神殿だとか。」 その言葉にエリヤははっとした。 「まさか……」 もしかして、 また闇の術を行なおうというのだろうか。 エリヤの脳裏を悲しみに暮れる家族の姿がよぎった。 あんな惨いことをこれ以上させては…… 厳しい目をしたエリヤは、 前にたたずむセレンに言った。 「お願いです。 その男の人のところに案内していただけませんか。 詳しい話が聞きたい。」 「お安いごようです。」 セレンはにっこりと笑いながら頷いた。
ユールはまた誰かを殺そうとしているのだろうか。 この町で? アーウィンの青ざめた顔が浮かぶ。 これ以上彼を傷つけるような真似は……っ エリヤはなんとしてもユールの居所を突き止め、 彼の行為を止めさせようと固く心に誓った。 「セレン殿。 その男の所はだいぶ遠いのでしょうか。」 ずいぶん宿から離れ、 いつのまにか人通りのない裏道へ入っている。 昼間なのに薄暗い路地を歩いていくセレンの後姿に、 エリヤはふと不安をおぼえ声をかけた。 「もう少しですよ。」 そう言って振り返ったセレンの顔は穏やかなまま、 エリヤの知っている彼だった。 「彼もずいぶんと楽しみに待っていますよ。」 「え?」 エリヤがその言いまわしに妙なものを感じ顔をあげたとき、 目の前にセレンが腕を差し出した。 とん、 と額を軽く突かれた瞬間、 エリヤの意識が急速に薄れていった。 「おっと……」 倒れかかるエリヤの身体を片腕で支えると、 セレンは口元に今までとは違う酷薄な笑みを浮かべた。 「……さあ、 お連れしますよ。 あなたのためにご用意した宴に。」
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