冬の瞳

 

19

 

 

  部屋に戻ったエリヤはベッドサイドに置かれた小瓶を見て軽く目を見開いた。

  それはこの宿の女将に渡したはずのものだった。

 「どうして……」

  不思議に思い、 その小瓶を片手にもう一度階下に下りた。

  女将の姿を探すと、 ちょうど奥の調理場から出てきたところだった。

 「女将、 これは……」

  エリヤの差し出す小瓶を見て、 女将は顔を綻ばせた。

 「ああ! おかげさまで助かったよ。 あの子もすっかり元気になったし、 そんな高価な薬全部

もらっちゃうわけにはいかないからね。」

  先日、 女将の小さな息子が病に臥せっているという話を聞いたエリヤが、 自分の持っていた

薬を彼女に差し出したのだ。

  それは城内の者でもなかなか手にいれることのできない貴重な薬だった。

  大抵の病や傷はすぐに治癒してしまう。

  城を出るときにエリヤの乳母がこっそりと持たせたものだった。

 「それ、 よっぽど珍しい薬なんだね。 連れの人に渡しといてくれって頼んだら驚いてたよ。」

  連れ、 という言葉にエリヤはぴくりとした。

 「……アーウィンに?」

  では部屋に置いていったのは彼だったのだ。

  しかし先ほどはそんなことは一言も言わなかった。

  何か食べるかい? とニコニコ話しかける女将に返事をしながら、 エリヤは2階にいるはずの

アーウィンのことを考えていた。







 「くそっ」

  アーウィンは自分の部屋に戻ると、 乱暴に上着を脱ぎ捨ててどさりとベッドに横たわった。

  天井を睨みつけながら、 先ほどのエリヤを思い出す。

  子供の相手をしている彼は、 昔のままの彼だった。

  アーウィンの愛したエリヤもよく城内の子供の相手をしていた。

  周りの大人達はそんな身分の低い者を、 と眉をひそめていたが、 エリヤは一向に気にして

いなかった。

  どんな相手にも分け隔てなく接していた。

  そして子供達も彼を慕っていた。

  ふと、 城を出る時に最後までエリヤに縋っていた少年の姿を思い出した。

  そうだ、 あの馬番の子供もそのひとりだった。

  たしかディドといったか。

  エリヤは泣き出しそうな顔の少年を優しく慰めていた。

  あの顔と先ほどの子供をあやすエリヤがだぶる。

  そしてそれは遠い日のエリヤの笑顔とも重なった。

 「……あれは偽りだ。 あいつは俺を欺きユールまで殺したんだ。 ……あいつがそんな、 昔のままの

心を持っているなど……」

  アーウィンは幻影を振り払うかのように激しく首を振った。

  だが、 振り払っても振り払っても疑念は晴れない。

  本当にエリヤは変わったのか?

  アーウィンはエリヤの部屋に置いてきた小瓶のことも思い出した。

  女将はあれをエリヤにもらったのだと言った。

  あの薬はどんな病や傷にも効く万能薬だった。

  それゆえ滅多に手に入らないものでもあった。

  それを簡単に他人に渡してしまうなんて……。

  腕の中で真っ青な顔をしていたエリヤ。

  あの薬があればあんなに苦しむこともなかったはずだ。

  それなのに何故自分のために使わず赤の他人に……。

 「……昔からそうだった。」

  無意識にそうポツリとつぶやいて、 アーウィンは自分の言葉にはっとした。

 「違うっ あいつは……っ」

  激しく否定しながらも、 アーウィンの心の中では葛藤が渦巻いていた。

  昔のままに微笑むエリヤ。

  弟を殺し血塗れた剣を持ったままたたずむエリヤ。

  酒場で男と楽しそうに話していたエリヤ。

  そして、 自分の腕の中で幸せそうに笑うエリヤ。

 「……ちくしょうっ」

  たまらずドンッと壁に拳を叩きつける。

  一体何が本当なのか。

  自分はまたエリヤに騙されているのか。

  あの優しさは本当か嘘なのか。

  入り口の無い迷路に迷い込んだような気分だった。

  どうしても答えが見つからない。

  それでも一つだけ、 はっきりとしていることはある。

 「……あいつがその手でユールを殺したのは事実だ。」

  葛藤の中で、 アーウィンはただそうつぶやいた。

  だが、 その声に力は無かった。