冬の瞳

12

 

 

  エリヤが竪琴を爪弾き出すと、 騒がしかった店内が少しづつ静かになっていった。

  豪快に酒を飲みながら笑っていた男達も聞きほれるようにエリヤの琴の音に耳を傾けている。

  いつの間にか店内は静まり返っていた。

  最後の音の余韻が消えると、 皆はっと我に返ったような顔をした。

  エリヤに何か弾けとからんでいた男も、 ぼうっと琴の音に聞きほれていたが、 曲が終わると

元の表情に戻り、 またニヤニヤとエリヤを見つめ出した。

 「兄ちゃん、 あんた綺麗なだけじゃなくて琴も上手いんだなあ。 気に入ったぜ、 こっち来て

飲めよ。 俺の奢りだ。」

  そう言ってエリヤの腕をがしっと掴み、 自分の側に引き寄せようとした。

 「お言葉は嬉しいが、 あいにくあまり酒に強くないので遠慮させてもらう。」

  そう言ってやんわり掴まれた腕を外そうとする。

  しかし男は簡単に引き下がらず、 更に腕に力をこめて引き寄せる。

 「そう固いこと言うなって。 酔ったら俺がちゃんと介抱してやるよ。 なんなら一緒に寝床に

入ってもいいんだぜ。」

  男は下卑た笑みを浮かべ、 エリヤの全身を欲望のこもった目で見る。

 「……冗談はよしてくれ。 失礼させてもらう。」

 「失礼させてもらう、 だと。 何きどってやがる、 たかが歌歌いのくせしやがってお高く

とまってんじゃねえ。 おら、 さっさとこっちに来いって。」

  エリヤの拒否にかっとなった男は闇雲にエリヤを抱き寄せようとする。

 「っ! やめろっ」

  驚いたエリヤは何とか男の腕の中から逃げようとした。

  その時、

 「みっともない真似はおやめなさい。」

  凛とした声が響いたと思うと、 次の瞬間には男の体が離れていた。

  見ると、 漆黒の髪をしたすらりと背の高い青年がたった今までエリヤにからんでいた

男の腕を掴み上げていた。

 「少々酒が過ぎているようですね。 少し頭を冷やしたほうがいいのでは?」

  青年はそう言うと、 店の皆があっけに取られる中、 自分の倍ほどの幅がある男の腕を

無造作に引っ張り、 店の外へと連れ出した。

 「いてえっ!」

  外から男の悲鳴じみた声が聞こえる。

  なんだと思う間もなく、 青年が一人で店に戻ってきた。

 「怪我は?」

  青年はエリヤの前に立つと、 優しくそう問いかけた。

 「あ……ありがとう。 平気だ。」

  エリヤは目の前の青年に助けてもらった礼を言った。

 「気になさらないよう。 あの男の振るまいが少々目に余ったものですから。

それだけです。」

  そう言って笑う青年は、 驚くほどの美貌の持ち主だった。

  髪と同じ漆黒の瞳、 白く抜けるような肌、 背はアーウィンと同じくらいか。

  女と見まごう程の美貌でありながら、 しかしなよなよとした印象はなく確かに男性だと

分かる。

  それは先程の立ちまわりでも証明されたことだが。

  「食事の最中ですか? 良ければご一緒に……」

  エリヤは知らず同席を誘う言葉を口にしていた。

  こんなことは初めてだった。

  いつもなら礼を言ってそれで終わりのはずなのに。

  目の前の青年は、 エリヤの言葉ににっこり笑って答えた。

 「嬉しいです。 喜んでご一緒させていただきます。」






  セレンと名乗った青年は、 学者の卵なのだといった。

  各国を旅して歩きながら、 その国の様々なことを学んでいく。

  その旅の途中なのだと言った。

 「この国に入ったのも数日前のことです。 ここであなたにお会いしたのも何かの縁かも

しれませんね。」

  見かけの美しさとは裏腹に、 青年はとても気さくな性格の持ち主だった。

  今まで見たいろいろな国の出来事を面白おかしくエリヤに話していく。

  エリヤもこの1年、 各国を旅してきたことから話の馬が合い、 いつの間にか打ち解けて

セレンと話し込んでいた。

  と、 突然、

 「エリヤ!」

  店中に響き渡るほどの大声で名を呼ばれた。

  驚いて声のする方向を見ると、 2階から下りる階段の途中で、 アーウィンが険しい表情で

エリヤを睨みつけていた。

 「ア、 アーウィン?」

  思わずがたんと立ちあがってしまう。

  手元の杯が倒れ、 ワインが零れるのも気付かなかった。

  険しい表情を崩さず歩み寄ってくるアーウィンのただならぬ雰囲気に、 店の客達が息を

殺すようにしてその行方を追っている。

 「……食事か? 悪いが先にいただいてしまった。 ここのおすすめは……」

  何に腹を立てているのか、 分からずエリヤが立ち尽くしていると、 アーウィンが彼の

すぐ近くに仁王立ちした。

  エリヤは怖気づく心を隠し、 にっこりと笑ってアーウィンに言いかけた。

 「……黙れ。」

  アーウィンはエリヤの言葉を低い声で遮ると、 ぐいとエリヤの腕を掴んだ。

 「いっ!」

 「来いっ!」

  アーウィンはエリヤの腕を掴んだまま、 荒々しい足取りで乱暴にエリヤを引っ張っていく。

 「ちょっと君っ! お待ちなさいっ」

 「うるさいっ 俺達のことは放っておいてもらおう。」

  セレンが止めようとするが、 アーウィンはぎろりと彼を睨みつけるとエリヤを引きずるように

して2階へと階段を上っていった。