君に降る雪のように

 

 「信濃さん何やってんの?  あ、 今度の仕事?」

  珍しく真剣な表情でノートに何か書き付けている信濃をリビングに見つけて、 甲斐が声をかけた。

 「うん。 そろそろとっかからないとまた笹部さんわめき出すから。」

 「ああ、 あの人も大変だよなあ。 あんたの担当なんて。」

 「それどういう意味だい? 言っとくけど俺、 締めきり落としたことなんてないよ。」

 「そういう意味じゃないんだよなあ。」

  甲斐は苦笑すると、 むっとした顔をする信濃の隣に座りこむとするりと腰に手を回して抱き寄せた。

 「……ちくしょう、 やっぱり早くでかくなるぞ。 今のままじゃあどう見ても俺が信濃さんに抱き着いている

ようにしか見えない。」

  自分より目線の高い位置にある信濃の顔を見上げて甲斐がつぶやく。

 「期待はしてるけど、 そう急がなくてもいいよ。 今の甲斐もかわいくていいから。」

 「……かわいいってそれ、 何か嫌だ。」

  よしよしと頭をなでる信濃に、 甲斐は子供扱いするなと文句を言う。

 「いいだろう。 夜はちゃんと大人扱いしてるんだから。」

  笑うと信濃は甲斐の尖らせた口にちょんとキスを送った。

 「……やっぱりずるい。 こんなことでごまかそうとするなんて。」

  そう言いながらも甲斐は、 信濃の腰に回した手に力をこめてなおも引き寄せようとする。

 「ストップストップ。 今仕事中なんだよ、 これ以上は後でね。」

  そのままソファに押し倒そうとする甲斐を、 信濃が手で押し返す。

  仕事という言葉に、 甲斐はしぶしぶその手を離した。

 「何、 今度はどんな話?」

 「時間の中に迷いこんだ男の子の話。 全然知らない場所で男の子が冒険するんだ。」

 「……それって俺のことじゃん。」

 「そうだよ、 せっかくだから甲斐をお話にしてみようと思ってね。」

  複雑そうな顔をする甲斐に、 信濃が楽しそうに話す。

  しばらくノートに鉛筆を走らす信濃の真剣な表情を見ていた甲斐が、 ふと気付いたように言った。

 「そういえば絵は? 絵も信濃さんが描いてんの?」

 「まさか。 そういう人もいるらしいけど、 俺は絵はからっきしだからね。 誰かお話に合いそうな絵を

笹部さん達が探してきてくれてる。」

 「ふ〜ん……俺が描けたらいいのにね。 そうすれば信濃さんと一緒に本を作れるのに。」

  甲斐の言葉に信濃がちょっと驚いたように彼を見た。

 「甲斐、 君絵を描けるの?」

 「学校で美術部に入ってる。 ……でも父さんが嫌がっててさ。 そんなことしている暇あったら、 いい

高校入るために勉強しろってさ。 絵なんか何の役にも立たないって。 ……最後に家を飛び出した時

もそのことで大喧嘩、 父さん全然俺の話聞いてくれなくてさ。」

 「まだ中学生なのに? 好きなこと出来るのは今のうちだよ。」

 「うん、 でもだめなんだって。 今から少しでもいい成績とって、 いい高校入らないといい大学に入れ

ないって。 学校のみんなも塾とかに通ってるし。 ……信濃さんは? どうだった?」

 「俺? う〜ん、 そういやみんな勉強していたな。 俺はそれほど勉強しなくてもなんとか大学まで

いけたし。 ……ああ、 でも童話作家になるって決めたときは親父にめちゃくちゃ怒鳴られた。 そんな

ことで食べていけるかって。 でもこうやってなんとか生活できてるしね。」

 「信濃さんが怒鳴られてるとこなんて想像できないな。」

  甲斐が面白そうに言う。

 「そうかな、 よく怒鳴られたよ。 俺ってどうも人より考え方がのんびりしてるみたいで、 もっとしっかり

しろってしょっちゅう親父から説教されていた。 あんまりよく聞いていなかったけど。」

 「ああ、 それはわかる気がする。」

  怒鳴る父親の前でのほほんと座っている信濃を想像して、 つい笑ってしまう。

 「……絵、 続けたらいいじゃないか。 そして俺の本の挿絵してくれよ。」

  信濃の励ますような言葉に、 甲斐がためらいながらうんと頷く。

 「そうだな。 ……もしまた家に帰って父さんに会えるなら、 今度はわかってくれるまで何度でも

話し合うよ。 俺、 絵が好きだから。」

  そう言って笑う甲斐に、 信濃は黙って抱きついた。

  甲斐に見えないように肩先に顔をうずめる。 その顔は何かをこらえるように寂しくゆがんでいた。

 ”家に帰ったら……そのときはお前は10年前に戻っているんだな。 もしかしたらお前は明日にでも

いなくなるかも知れないんだ。”

  今まであえて考えようとはしなかったが、 甲斐が何かの弾みで10年前に戻ることだってありえる

のだ。 その方法がわからないだけで。

  そう考えつき、 信濃は今この瞬間にも甲斐がいなくなるような不安に襲われ、 彼の存在を確か

めるようにさらにきつくしがみつく。

  そんな信濃の気持ちに気付かぬように、 甲斐はしがみつく信濃に笑ってキスを送った。