君に降る雪のように

 

  次の日の朝、 信濃は隣から聞こえてくる物音に目を覚ました。

 「……?」

  ベッドから抜け出してリビングに続くドアを開けると、 途端味噌汁のいい匂いがただよってきた。

 「あ、 おはよう。 朝飯できてるよ。」

 「あ、 ああ……。」

  ドアノブを握ったまま目をぱちくりとさせている信濃に、 甲斐がキッチンから元気よく声をかけた。

  見るとテーブルには、 茶碗や箸などがきちんと並べられている。

  うながされるまま席につくと、 すかさず味噌汁の椀が出される。

 「いただきます……。」

  どうぞ、 という言葉に、 箸をとり味噌汁に口をつけた。 ほどよく出汁がきいていておいしい。

 「よく材料あったな。」

  つづいて卵焼きに手を伸ばしながら、 感心したように信濃が言った。

  漬物もどきの胡瓜やキャベツの塩もみまで並んでいる。

  向かいで同じように箸を動かしていた甲斐は、 ちょっと笑って答えた。

 「後で買い出し行かないと。 ほんと冷蔵庫の中何もないから使えるもの全部使っちまった。」

 そう言うと、 甲斐はおもむろにがばっと頭を下げた。

 「一晩中考えた。 でもいい考え浮かばなくて……。 だから、 しばらくここにいさせてくださいっ

お願いしますっ。」

  そう一気に言いきり、 信濃の顔をうかがうように顔を少しあげる。

 「……いい?」

 「いいよ。 好きなだけいろよ。」

  笑って信濃は答えてやった。

 「ご飯おいしいし、 お前おさんどん決定ね。」

 「ありがとう! 俺何でもするっ」

  甲斐はうんうんと何度も大きく頷いた。





  その日から信濃のマンションに一人住人が増えた。

  甲斐は最初の言葉どおり、 せっせと信濃の食事を作り、 掃除をし、 洗濯をしたりと家の中を動き

回っている。

  もともと面倒くさがりの信濃としては助かるしだいだ。

  それによくしゃべる甲斐は、 ずっと一人暮しだった信濃の生活を明るく賑やかなものにした。

 「ほら、 信濃さん。 いいかげん起きないと脳みそ腐っちまうぜ。 いくら原稿あがったからって昨日

からずっと寝過ぎだって。」

 「……まだ眠い……もうちょっと寝させて……。」

 「だめ、 さっさと起きろって。 たまには健康的に外に行ったら? いっつも部屋にこもってんだからさ。

ボケたじいさんみたいにぼうっとしてんなよ。」

  甲斐が布団の中にもぐりこもうとする信濃から無理やり掛け布団を剥がす。 

 「……ボケたじいさん……。」

  信濃は仕方なくのろのろと身を起こしながら、 甲斐のあまりの言い様にはあっとため息をついた。

  信濃の世話になると決めてから、 甲斐は開き直ったのか前向きに物事を考えるようになった。

  積極的に外出しては10年間の変化を見てまわる。 テレビでいろいろな番組を見ては、 人気の

あったタレント達の老けように驚き、 知らない歌手が歌う今の流行曲の耳慣れないメロディに戸惑った

顔をした。

  しかし、 テレビゲームの進歩には手を打って喜んだ。

 「すげえっ 10年の間にこんなことまで出来るようになってるんだ。」

  信濃が買ってやったゲームに夢中になっている。




 「今の奴らってほんと変な服装してるよな。」

  結局押し切られるまま、 一緒に出た街で甲斐が呆れるような顔をした。

 「何あの格好。 なんであんな高い靴はいてんだ? こっちは冬だってのにサンダルだし、 わけ

わかんねえ……。 女達の化粧も変だし、 店に売ってるものも何に使うのかよくわかんねえし。」

 「そうだねえ。 女性の服装に関しては俺もよくわからないけど、 10年前とはだいぶ変わってるだ

ろうねえ。」

  うなるように言う甲斐に、 信濃も苦笑して答える。

  信濃にしてもぶらぶらと街中に出るのは久しぶりのことだ。

  甲斐との外出を、 信濃はおおいに楽しんだ。

 「さて、 せっかくだから君の服をそろえようか。」

  道沿いに並ぶショップに目をやりながら、 信濃が言った。

 「え? い、 いいよ。 金かかるし、 あんたの服借りてるし、 これ以上は……。」

 「何言ってんの、 俺の服じゃぶかぶかでおかしいだろ。 普段着くらいなら大丈夫、 これでも少しは

売れてる作家なんだから。」

  驚いて手を振る甲斐を尻目に、 信濃はさっさと近くの店に入っていった。

  そして遠慮する甲斐にジャケットやセーター、 シャツにパンツと、 当座必要と思われるものを次々と

買っていった。

 「し、 信濃さん、 もう充分。 もういいって。」

 「う〜ん、 案外楽しいね、 人の服選ぶのって。 お前、 顔もスタイルもいいから選び甲斐あるよ。」

  楽しそうにあちらこちらの店を見てまわる。

  やっとマンションに帰る頃には、 甲斐の方が疲れきっていた。

  手には大きな紙袋をいくつも提げていた。