君に降る雪のように

 

 「忍野甲斐。 昭和52年6月12日生まれ。 14歳、 中学2年……ね。」

  はあ、 とため息をつくと信濃はどさりとソファに背をあずけた。

  あの後、 混乱する甲斐をなだめながら信濃のマンションまでなんとか帰りつき、 甲斐が落ち着いた

ところを見計らって彼の生年月日などを聞き出した。

  「昭和52年というと、 ……嘘だろう、 俺と4つしか違わないのか。 本当なら今は24歳ってことだよな。」

  信濃は目の前に座る甲斐をまじまじと見た。

  14歳にしては大柄な体だが、 それでもどう見てもまだ成長過程の途中の子供だ。

 「10年分の記憶が飛んだ……にしてはその体じゃ説明つかないよな。 となると……。」

  ある考えが頭をよぎるが、 それはあまりにも非現実的過ぎる。

  しかし先程聞き出した彼の話に、 おかしいと感じるところは何もなかった。

  10年前に起こった世間の大きな出来事などを、 彼は正確にはっきりと話した。 彼に言わせるとほんの

最近起こった出来事ばかりなのだそうだが……。

  東西ドイツの統一が1年前、 雲仙普賢岳の噴火が今年の春、 ソビエトの崩壊となるとほんの数日前に

報道され今世界が大騒ぎしている最中だと言う。

  しかしどれもこれも彼がはっきりと記憶しているはずないことばかりだった。 なんとなれば10年前には

彼はまだ4歳だったはずなのだから。

  それを彼は事細かに、 本当に自分の目で見たのでなければわからないようなことまで詳しく話した。

  こうなれば彼が偽りを言っているとは考えられない。

 「でもなあ……SFじゃないんだぞ。 そんなことが簡単に起こっていいのか?」

  いや、 簡単もなにもはじめて出くわしたけどさ。

  一人でぶつぶつとつぶやく信濃に、 甲斐は不安そうな顔を向ける。

  その視線を受け、 信濃は意を決したように居住まいを正すと、 考え考え話を切り出した。

 「……ええとね。 これは俺の推測……自分でも頭おかしいんじゃないかって思うけど、 推測ね。 だか

ら頭が変になったって思うなよ。 ……ああ、 どう言ったらいいのか……俺が考えるに、 お前、 過去から

飛んできちゃったんじゃないのか?」

 「……それってSF映画にあるようなあれ? ……タイムスリップとかいうやつ?」

 「そう、 それ。」

 「……。」

 やけになったように頷く信濃に、 甲斐が妙な顔をする。

 「笑うなよ、 怒るなよ。 こっちだって言っててばかなことだとわかってるよ。 でもっ それぐらいしか

思いつかないんだよ。 ……それとも今までのお前の話、 全部嘘だって?」

 「違うっ 嘘じゃないっ」

 「だったら他にどう説明つける? だめ、 俺にはもうわかんない。」

  信濃が降参、 と手をあげる。

  そのまま二人沈黙してしまう。

 「……タイムスリップって本当にあったのかよ。」

 「俺が知るわけないだろ。 タイムスリップしたのはお前。」

 「……それがほんとだとして……俺、 戻れんの?」

 「さあ……。」

 「戻れなかったら俺、 どうなんの?」

 「……。」

  また二人沈黙してしまう。

  しばらくして信濃が沈黙を破るように、 静かに言った。

 「……ここにいてもいいよ。」

 「え?」

 「行くとこないんだろ。 だからここに置いてやるって言ってんの。」

 「……あんた本気? 見ず知らずの他人だぜ、 俺。」

 「仕方ないだろ。 こう関わってしまったら。 放っておけるかよ。 幸い俺、 一人暮らしだしさ。 」

  信濃が肩をすくめて言う。

 「それとも親探す? 戸籍調べれば今どこに住んでるかなんとかわかると思うよ。」

  10歳老けてると思うけど。

  信濃があえて軽い口調で提案する。

 「……いいよ。 見つかったとしても何て言えばいい? 10年前のあなたの息子が来ましたって?

本気にするわけないよ。 ……それに、 今の俺がいるかも……会うの怖いよ。」

  甲斐が膝を抱えてつぶやく。 

  そのまま膝に顔をうずめ、 じっと動かなくなる。

  その様子を黙って眺めていた信濃は、 彼の肩にそうっと手をのばしかけて止めた。

  その手でぽりぽりと頭をかくと、 立ちあがって奥の部屋に入っていった。

  なおも甲斐がじっとうずくまっていると、 頭からファサッと毛布をかけられた。

 「とりあえず今日はもう寝よう。 これからのことはゆっくり考えるといいよ。 ……ここにいても俺はかまわ

ないからさ。」

  優しい信濃の口調に、 甲斐がふと顔をあげてかすかに笑う。

 「……あんたってほんとお人よし。」

 「ほっとけ。」

  甲斐の言葉に、 信濃はわざとおどけて言うとおやすみ、 と奥の部屋に消えていった。

  一人残された甲斐は、 毛布をかぶったままじっと考え込んでいた。