君に降る雪のように

 

  次の日、 二人は甲斐の生まれ育ったという千駄木に行ってみた。

  営団千代田線の千駄木駅で降り、 階段を上って地上に出る。 寺の多いこの辺りは車も少なく、

のどかな雰囲気をただよわせていた。

  甲斐の導くまま、 駅から続くかすかに傾斜した上り坂を歩いていく。

 「へえ、 この辺りは来たことがなかったけど、 古い店なども結構あるんだね。 あの喫茶店なんか

趣があって面白そうだな。」

  信濃が辺りを眺めながら、 感心したように言う。

  一方、 甲斐は緊張に顔をこわばらせ、 黙々とただ歩いていく。

  途中一度立ち止まると、 道の右側にある小学校を指差し、

 「ここ、 俺の通っていた小学校。 ……でもここもなんか綺麗になってて違う学校みたいだ。」

  と、 信濃に一言告げた。 そしてそのまままた黙って歩を進める。

  信濃は甲斐が指差した小学校に目をやった。

  校門の中はすぐ校舎が立っていて、 中から子供達の声がかすかに聞こえてくる。 校舎の隣には

門から細い道が続き、 奥には小さな日本庭園もどきの庭が見えた。 そのところどころに子供達の

作品なのだろう人形が飾ってあるのがなんともミスマッチでかわいい。

  信濃は前を歩く甲斐に目を向けた。 甲斐はまわりから自分を守るように肩をいからせて歩いていく。

  しばらくして右に曲がり、 一本の道に入った。 その辺りからはもう閑静な住宅街だった。

  そこから10分ほど歩いただろうか、 唐突に甲斐は足を止めた。 信濃も立ち止まる。

  そこにはマンションが立っていた。

 「……ここか?」

  信濃の問いかけに、 甲斐は小さく首を縦に振った。

  まわりを見まわすが、 別段変わった様子はなかった。 普通のマンションだ。

  郵便受けを確かめると、 人もちゃんと住んでいるようだ。

  信濃はちょっと何か考えるように黙っていたが、 甲斐の方を振り向くとおもむろに尋ねた。

 「おい、 仲が良かった隣の人ってどの家だ?」

  甲斐がその言葉に黙って一軒の家を指差す。

  信濃はその家の前まで行くと、 躊躇することなく呼び鈴を押した。

 「はい?」

 「突然申し訳ありません。 ちょっとこの辺りのことでお伺いしたいのですが、 少しよろしいでしょうか。」

  家の中から現われた若い女性に、 にっこりと微笑みかけて言う。

 「私でわかることかしら。」

  優しげに微笑む信濃の端正な顔立ちに、 女性は少し顔を赤らめて頷いた。

 「すみません。 ちょっとこちらの隣のマンションのことなのですが、 いつ頃建ったものか教えてもらえ

ませんか。 実は私、 このマンションが出来る前に住んでいた家族の知り合いなのですが、 しばらく

外国に行っていたものですから連絡も取れず、 今日たずねてきて驚きました。 いつのまにかマンション

になってしまっていて……。」

 「まあそれは……。 私もこちらには3年前に越してきたので詳しいことは知りませんが、 マンションが

建ったのは10年ほど前のことだと聞いています。 その前にいらしたご家族のことはあいにく……。」

 「そうですか……困ったな。」

  心底困ったように言う信濃の様子に、 気の毒そうに彼女は言った。

 「ごめんなさい、 お役に立てなくて……そうだわ、 ここのマンションを扱っている不動産なら、 知って

いるかも。」

  そう言うと彼女は不動産の名前を教えてくれた。

 「どうもありがとうございました。 助かりました。」

  嬉しそうに微笑む信濃の顔に、 また女性はぼうっと見とれる。

  信濃は礼を告げると、 甲斐の立つマンションの前まで戻った。

 「……このマンションが建って10年だってさ。」

 「10年?!」

  甲斐が驚いて声をあげる。

 「なんか頭が痛くなりそうだな。 ひとまず駅まで戻ろう。 それからこの不動産へ行く。 その前に住んで

いたのが誰なのかわかるだろう。」

  信濃はしょんぼりとうなだれる甲斐の肩を叩くと、 駅へと向かった。

  駅で信濃が切符を買っている間、 甲斐はぼうっと売店を見るともなく見ていた。

 「甲斐、 ほら、 切符。 行くぞ。」

  切符を買った信濃が甲斐に近寄り切符を手渡そうとするが、 甲斐は売店の一箇所を凝視したまま

微動だにしない。

 「甲斐? どうかしたか?」 

  様子がおかしいことに気付いた信濃が、 なにごとかと声をかける。

 「……信濃さん、 今っていつ? 何年? 西暦何年? 平成何年なの?」

  甲斐が震える声で尋ねた。 その視線は売店に売っている新聞に固定されていた。

 「何年って、 今は平成13年、 西暦2001年だろが。」

 「嘘だっ!」

  信濃の答えに甲斐が叫ぶように言った。

 「嘘だっ 何で……どうして……今って平成3年のはずだろ、 何で10年も経ってるんだよっ」

  泣きそうな声で言う甲斐の言葉に、 信濃はすっと真顔になった。

 「甲斐、 落ち着いて。 とりあえず僕のマンションに戻ろう。」

  わなわなと震える甲斐を抱えるようにして駅を出ると、 信濃はちょうど来たタクシーを止めて

マンションへと急いで戻った。

  タクシーの中で、 甲斐はマンションに着くまでずっと信濃の服を縋るように握り締めていた。