君に降る雪のように
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「信濃さ〜ん、
どうしたんですか。
原稿がこんなに遅れるなんて初めてじゃないですか。
それにずっと 外にも出ていないようだし、 体の調子でもわるいんですか?」 笹部が出来あがった原稿をそろえながら心配そうに尋ねる。 それに信濃は薄く笑って返すだけだった。 甲斐が突然姿を消してから、 10日以上が経った。 10年前の自分の時代に戻れたのか、 それともまた別の時代に行ってしまったのか。 信濃にはそれを知るすべさえなかった。 今の甲斐を探そうにも、 家族の行方さえ知らない。 例の不動産を尋ねても、 甲斐の家のことは何も 判らなかった。 今はただもう一度甲斐が戻ってこないか、 ほとんど絶望に近い願いを持って待つしかなかった。 「信濃さん、 あの甲斐って子がいなくなってからおかしいですよ。 結局あの子、 うちに帰ったんでしょう? よかったじゃないですか。 子供は自分のうちで暮らすのが一番ですよ。」 何も知らない笹部がのんきにうんうんと頷いている。 それにも信濃は答えることが出来ず、 ただ黙ってあいまいに頷くだけだった。 「気分転換に外に出てきてはいかがですか? やっぱり閉じこもりっきりはよくないですよ。 外で ぶらぶら散歩すれば何か新しい話が思い浮かぶかも知れませんよ。」 信濃の体を心配する笹部に押し切られるように、 信濃は外出することになった。 街中を一人何をするでもなくぶらぶらと歩く。 ふとショーウィンドウの中の服が目に付く。 ”この色、 甲斐に似合いそうだな。” 騒動的に店内に入り、 その服を買ってしまった。 外に出てきてはっと我に返り、 手もとの紙袋に苦笑した。 「ばかだな、もうあいつが着ることないのに……。」 返品しようかと考え、 まあいいかと歩き出した。 そのときコートのポケットからかさりと音がした。 「?」 取り出してみると、 1枚のチケットだった。 「……そういえば前に笹部さんにもらったっけ。」 彼が薦めてきた絵の個展で、 いずれ行こうかとコートのポケットに突っ込んでいたのだ。 忘れていたチケットを何気なくながめ、 その個展の場所がこの近くであることに気付いた。 「……予定もないし、 ちょっと覗いてみるか。」 そうつぶやくと、 信濃はゆっくりと歩き出した。
「なんて名前だっけ。 ……”KO”? コウって読むのか、これ。」 パンフレットに目を落として、 画家の名前を探す。 「これ本名か? それともイニシャル? どっちでもいいけど。」 つぶやきながら、 目の前の絵をじいっと眺める。 それは優しい色彩で描かれた風景画だった。 見てまわるうちに信濃の表情にやさしいものが混じり始める。 「……いいな、 この画家。 俺の話に合いそうな絵描くよな。 どこかに本人いないのか?」 会場を見まわすが、 それらしき人物は見当たらない。 少し残念に思いながら、 少しづつ出口の方へと絵を見てまわっていった。 と、 その足が1枚の絵の前でぴたりと止まった。 「……なんで……どうして……。」 出口近くに、 それは1枚だけ、 まるで何かに捧げられるかのように花に囲まれて飾られてあった。 そしてその絵に描かれていたのは……。 「俺と……これは甲斐?」 絵の中で一人の少年が青年に抱きつくように眠っていた。 そしてその二人の顔は、 まさしく信濃と甲斐そのものだった。 「どうして……まさかこれを描いたのって・・・・・・っ」 震える手でもう一度手もとのパンフレットを開く。 「KO……K・O……まさかこれって……っ」 一つの答えに気付くと、 信濃は即座に入り口の受付へと向かった。 「すみませんっ この個展を開かれたKOって人は、 本名はなんていうんです? 今どこに? 住んで いるところはご存知ですか?」 あせったように尋ねる信濃に、 受付の女性は戸惑いながらもにこやかに答えた。 「申し訳ございません。 プライベートのことは一切お答えするなと言われています。」 「そんなっ せめて名前だけでも。 今この会場にいるんですか?」 「あいにく先程出かけました。 行かなければならない所があると言って。」 女性の言葉にがっくりと肩を落とすと、 信濃はとぼとぼと出口に向かった。 その様子に気の毒に思ったのか、 女性が小さな声で話しかけた。 「あの、 明日ならまたこちらに来ると言っていましたが。」 「……ありがとうございますっ。」 女性の言葉に信濃はぱっと顔をあげると、 彼女に微笑んで礼を言った。
信濃は甲斐に会えるという希望に、 足取りも軽くマンションに戻った。 マンションの近くまで帰ってきて、 入り口の植え込みに人影が座っているのに気付いた。 その人影は、 信濃に気付くとゆっくりと立ちあがった。
背の高い男性だった。 |