君に降る雪のように
12
男は一歩一歩地面を踏みしめるようにして、
信濃に近づいてきた。 目の前まで歩いてくると、 信濃の顔をじっと見つめてゆっくりと笑みを浮かべた。 「……信濃さん、 やっと会えた。」 男の言葉に信濃が震える口を開く。 「まさか……甲斐? お前か……?」 「ああ、 そうだ。 俺戻ってきたぜ、 約束どおり。」 足が固まったように微動だにしない信濃に、 甲斐がそっと手を伸ばしてその顔に触れる。 「ずっと会いたかった。 10年前、 別れたときからずっと探してた。」 信濃の顔に手が触れたかと思うと、 次の瞬間には甲斐の腕の中に強く抱きしめられていた。 その腕の中で信濃も、 甲斐が本当にここに存在していることを実感する。 その一回りも二回りも大きくなった背中に手を回ししっかりと抱き返す。 「……っのっばかやろ……っ 黙って消えてしまって……っ」 「ごめん……ごめん信濃さん。」 「こんなに大きくなりやがって……背も高くなって……」 「約束したろ、 絶対信濃さんよりでかくなるって。」 「今まで何してたんだよっ 俺あのときからずっと待ってたのに……っ」 「だって……会えないじゃないか。 14の俺と出会う前に今の俺が出ていったって、 信濃さん俺の ことわからないだろ。 だから14の俺が10年前に戻るまで待つしかなかったんだ。」 困ったように答える甲斐に、 信濃ははっとした。 そうだ、 自分はほんの数日会えなかっただけだが、 甲斐はこの10年間ずっと信濃と会えなかった のだ。 どれほど会いたい気持ちを耐えてきたのだろうか。 どれほど信濃の前に姿を現わしたかった だろうか。 「……ごめん、 お前の方が……。」 「気にしないで。 こうやって会えたんだからそれでいい。」 それよりもキスさせて? そう言うと甲斐は信濃に顔を寄せてきた。 信濃も黙ってそれを受け止める。 久しぶりのキスは懐かしいのに何故か新鮮な感じもした。 「ああ、 そうか。 お前大人になったものな。」 「別のことも試す?」 からかうな口調で甲斐が言うが、 それとは反対に信濃をみる目は、 彼を渇望し飢えに満ちていた。 「……とりあえずマンションに帰ろう。」 そんな甲斐に、 信濃は優しく中へと促がした。
「記憶にある通りだ。 ここもどこもかしこも。」 「当たり前だろう、 こっちではお前が消えてから10日しか経っていないんだから。 お前が使っていた ものもまだそのまま置いてある。」 「さすがにもう服は着れないけどね。」 甲斐が自分の体を見下ろして苦笑する。 信濃の目の辺りまでしかなかった背丈は、 今では信濃より頭一つ高くなっている。 肩幅もがっしりとし、 顔立ちも子供っぽさが抜けて精悍な大人の風貌になっていた。 それでもやはり甲斐だった。 ソファに腰を下ろし甲斐の腕の中に身を預ける。 今では信濃の体がすっぽりと入ってしまう。 「……ああ、 信濃さんの匂いだ。」 甲斐が信濃の肩に顔をうずめて深く息をついた。 「10年間ずっと夢見ていた。 こうして信濃さんを抱きしめるのを。」 「うん……。」 しばらく二人黙ってお互いのぬくもりを感じていた。 ふと信濃が小さな笑いを漏らす。 「何?」 「……笹部さんがさ、 気分転換に外に出ろって言ってくれたおかげかもって。 俺、 お前が消えて からずっと部屋に閉じこもっていたから。 笹部さんが言ってくれなきゃあの個展にも行かなかったし あのまま部屋に閉じこもりっきりで、 お前のこと気付かなかったかもしれない。」 「大丈夫だよ。 そうなったら俺が強引にこの部屋まで入りこんでいたから。」 言っただろう、 絶対信濃さんを見つけるって。 そう言って甲斐は真下にある信濃の顔にそっと顔を寄せた。 「……笹部さんか……懐かしいな。 驚くだろうな、 俺見て。」 「今のお前に会っても、 まさかあの甲斐と同じ人とは思わないだろうね。 よく似た人間…… せいぜい親戚かと考えるだけだよ。」 「だろうな。」 笹部の困惑した顔を想像して、 甲斐はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
いし……。 信濃さんの空想だよな。」 そのころ、 笹部は信濃の原稿を前に一人考え込んでいた。 信濃が書いたばかりの童話。 それはカイという少年が時間の中に迷い込んで冒険をするという話だった。 「うん、 ただの作り話に決まってる。」 笹部はそうひとりごちた。 後日、 大人になった甲斐に再会して笹部はまた困惑することになるのだが……。
窓の外を見て信濃がつぶやいた。 「あのクリスマスと同じだ。 ……あの約束どおりちゃんと信濃さんに会えた。 もしまた離れること があっても必ずまた信濃さんを見つけ出すよ。」 甲斐の言葉に、 信濃が嬉しそうに頷く。
静かに雪は降りつづけていた。 |