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 「逸生兄さん! 帰ってたのか?」

 「ついさっきね。 恭のところに行こうとしたら大きな声が聞こえたものだから。」

  目を輝かせて廊下に立つ長身の男に駆け寄る恭生の姿に、 ジェフリーは何故かむっとした顔をした。

  そんなジェフリーの様子を目の端で眺めながら、 逸生は弟の嬉しそうな顔に微笑みかけた。

 「嬉しいねえ、 そんなに喜んでもらえると。」

 「だって2ヶ月振りだろ、 兄さんに会うのって。 あっちこっちに巡業で忙しいって聞いたから。」

 「優生なんて ”あ、 お帰り〜” だけだよ。 久しぶりに会った兄さんに対してたった一言、 冷たいよなあ。」

 「あいつ今、 踊りのことで頭いっぱいだから。」

 「ああ、 そういやもうすぐだっけ発表会。」

 「そう、 もう学校から帰ってくると速攻練習してるよ、 夜中まで。」

 「無理しないように言っとかないとねえ、 練習ばかりしてもいい踊りはできないから。 身体壊さないよう

注意しないと。 まず健康第一ってね。」

 「……うん、 そうだな。」

  急に声の調子が落ちた恭生に、 逸生は一瞬顔を曇らせたがすぐにまた笑顔になって言った。

 「そこに立っているのがジェフリー君だろ、 話は聞いてるよ。 夏休みの間うちに滞在するんだって?

よろしく、 この家の長男の逸生です。 挨拶が遅くなって悪いね。 弟とも久しぶりに会っただからつい、 ね。」

 「……よろしく、 ジェフリー・バウムスタインです。」

  ニコニコと手を差し出す逸生に、 ジェフリーはぶっきらぼうに答え右手を出した。

 「さて、 じゃあもう行くかな、 恭生にも会ったしね。」

 「え、 兄さんどこか行くのか?  今帰ってきたばっかりだろ。」

 「後援会の方々と夕食会なんだ。 今は荷物を置きに帰ってきただけ。 明日からはしばらくこっちにいるよ。」

  じゃあね、 と手を振って逸生は出ていった。

 「せっかく帰ってきたと思ったのに、 あいかわらず忙しいな。 逸生兄さんは。」

  がっかりしたようにつぶやく恭生に、 ジェフリーは先程からむっとしていた顔を余計にむむっとさせた。

 「……仲が良いんだな、 逸生と。」

 「こら、 逸生サンと呼べよ。 兄さんはお前より2歳年上の20なんだぞ。 ……まあ昔からよく遊んでもらっ

たり、 勉強みてもらったり面倒見てもらったからな。 忙しい父さんの代わりにいろいろ相談にのってもらった

し、 あのときも……。」

  言いかけて恭生ははっと口をつぐんだ。

 「あのとき?」

  言いかけた言葉を聞きとがめてジェフリーは問い掛けたが、 恭生は黙ってそのまま部屋に入っていった。

 「あのときって? 恭生。 何かあったのか?」

 「何でもない、 ちょっとした事だ。 もう終わった。」

  部屋に入ってもなお問い掛けるジェフリーに、 恭生は振り向くと何でもないように軽く答えた。

 「それより今日のお土産は何だ? また変なもの買ってきたのか。」

  強引に話を終わらせようとする恭生の様子に、 これ以上話を聞くことは出来ないとわかったジェフリーは

しばらく恭生の顔を見つめると、 ふっと息を吐いて笑った。

 「今日のお土産はとびっきりだよ。 絶対恭生に似合う。」

 「俺に似合うもの? 何だよそれ。」

  不信そうに言う恭生に、 ジェフリーはとにかく開けてみろ、 と促した。

  ためらいながら包みをがさがさと開けると、 中から平べったい長方形の木の箱が出てきた。その中から

さらにびろうどの箱が。

  ちらりとジェフリーの顔を見るとにっこりと笑い返してきた。

  恭生は手元の箱に目を戻してじっと見つめた。 何か嫌な予感がする。

 「どうしたんだ? 早く開けるといい。」

  ジェフリーに促され、 おそるおそる箱を開け、 思わず息を呑んだ。

そこには一対のかんざしが収まっていた。金で打ち出された小花が縒り合わされ、所々小さな赤い珊瑚が

ちりばめられている。 小花は花びらの一枚一枚が精巧に作られ揺らすと今にもはらはらと散っていきそうだ。

見事な細工のかんざしだった。

 「綺麗だろう。 これを見た瞬間恭生にしか似合わないと思った。今度踊りの会の時にでも使ってくれ。」

  黙ったまま手の中のかんざしを見つめる恭生の隣で、 ジェフリーは誉められるのを待って尻尾を振る犬の

ように嬉しそうに座っていたが、 恭生の様子が何かおかしいことに気付いた。

 「恭生? もしかして気に入らなかったか?」 

  声をかけながら肩にそっと手をかけると、 恭生ははっと顔をあげた。

 「恭生?」

  もう一度声をかけると、 恭生はついと箱をジェフリーに差し出した。

 「返す。 俺には必要ないものだ。」

 「え?」

 「言わなかったか? 俺は踊りはやっていない。 だからこれはいらないんだ。」

  恭生の言葉にジェフリーは一瞬固まった。

 「やってないって……踊りを? だってここは家元の家で君は家元の……。」

  呆然とつぶやくジェフリーに、 恭生はひょいと肩をすくめて言った。

 「正確に言えばやめたんだ、 踊りは。 ずっと前に。」

 「やめたってどうして?! 」

 「向いてないから。」

  きっぱりと言いきった恭生に、 ジェフリーは絶句した。

 「家元の家に生まれたからって皆が踊りをするわけじゃない。 俺には踊りは向いていないとわかったから

やめたんだ。 向いていないものを続けていても仕方ないだろ。」

  だからこれは返す、 と目の前に差し出された箱を受け取ることもせず、 ただぼうっと見ているジェフリーに

恭生はため息をつくと、 箱を床に置いてそのまま部屋を出ていった。