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 「恭せんせい! ねえ、 髪飾りちゃんとついてる?」

 「ねえねえこっち見て。 綺麗?」

  発表会の当日は戦争のようだった。

  楽屋裏は人人人でごった返し、 届けられる花束の数々がそこいらを埋め尽くしていた。

 「はいはい、 二人とも綺麗に出来てるよ。 もうすぐだろう、出番。 頑張ってこいよ。」

 「うんっ」

 「恭せんせい、 ちゃんと見ててねっ」

  恭生にまとわりついていた少女達は、 元気よく頷くときゃあきゃあ言いながら

舞台袖へと走っていった。

 「あああ……あいつら、 あんなに走って転ぶなよ〜」

  少女達の後ろ姿をはらはらしながら見送る。

  そんな恭生の横でジェフリーがくすくす笑っていた。

 「すっかり彼女達になつかれたな。」

 「逸生兄さん達みたいに稽古の最中に怒鳴ったりしないからだろ。 いい遊び相手とでも

思ってるんじゃないか。」

  恭生は照れくさそうに言った。

  結局その後恭生は、 ときたまにだが少女達の踊りの稽古をみてやっていた。 といっても

遊び半分のようなものだったが。

  それでも少女達は喜び、 そして一生懸命恭生の言うことに耳を傾けていた。

  逸生も 「あの子達ずいぶん良くなったよ」 と感心するほどに。 

 「ジェフリー、 そっちの花全部あっちの部屋の中に持ってってくれ。 あ、 名前は控えて

おいてくれよ。」

 「ああ。 そういやさっき仕出しの業者が来てたぞ。」

 「え? 早いな。 わかった、 すぐ確認する。」

  ジェフリーは通路に置かれた大量の花束を抱えると、 奥の控え室へと急ぎ足で歩いて

行った。

  恭生も進行表を見ながら裏の受け付けへと急ぐ。

 「あ、 恭兄さん。」

  そこへ優生が控え室からひょっこり顔を出した。

 「ああ、 もう仕度できたのか?」

 「うん、 もうそろそろかなと思って。」

  優生は少し緊張した顔で笑った。

  白く塗った手が少し震えている。

  それを見て、 恭生が安心させるように微笑みかけた。

 「大丈夫だよ、 あんなに稽古しただろ。 昨日のお前の踊りすごく良かったよ。」

  恭生の励ましに優生はちょっと顔をゆがめると、 震える手をぎゅっと握りしめた。

 「うん……じゃあ、 行ってくる。」

 「ああ、 頑張れよ。 袖から見てるから。」

  優生はその言葉に答えるようにかすかに笑うと、 舞台袖へと歩いていった。

  恭生はとりあえず急ぎの用を済ませると、 舞台袖へと向かった。

  ジェフリーがすでに立っていた。

 「終わったのか?」

  恭生に気付き笑いかける。

 「ああ、 とりあえずは。 今……?」

 「お嬢ちゃん達が踊ってる。」

  見ると舞台の上では、 少女達が音楽に合わせて踊っている。

 「……緊張してるな、 さすがに。」

  少女達のかすかに強張った表情を見てとり、 恭生がふっと笑った。

 「そりゃあ舞台ではな。 ……恭生もそうだったろう?」

 「ああ……」

  ジェフリーのからかうような問いに、 恭生は昔を思い出すような表情をした。

 「……なんだか不思議な気分だな。 俺が今ここにこうやって立っているのが嘘みたいだ。

もう二度と舞台なんか見ないって思ってたから。」

 「……まだつらいか?」

  ジェフリーが気遣わしげな声を出す。

  それに恭生は笑って首を振った。

 「いや。 何か懐かしいなって思っただけ。 ……でも見てると俺も踊りたくなるな。」

  最後は冗談交じりの口調で言う。

  しかしそこに恭生の本音が出ているようで、 思わず肩を抱き寄せてしまった。

  途端、 ばしっと腕を払い落とされる。

 「ばかっ こんな所で変なことするなっ」

  まわりを気にするように恭生は小声で咎めるが、 見るとその頬は赤く染まっていた。

 「変なことって、 ただ肩を……」

 「うるさいっ」

  払い落とされた手をひらひらと振りながら、 ジェフリーが苦笑する。

  恭生は赤くなった頬を背けてしっしっと手で追い払うしぐさをした。

 「……ちょっと。 こっちは本番前で緊張して震えが止まんないってのに、 目の前で

いちゃつかないでよ。」

  そこに優生の憂鬱そうな声がした。

  あわてて後ろを見ると、 優生が椅子に座りながら二人をねめつけるように見ていた。

 「ゆ、 優生。 お前そこにいたのか。」

  恭生が取り繕うように笑う。

 「さっきからいるんだけど。 兄さん、 俺を応援してくれてるの? それとも邪魔してるの?」

 「お、 応援してるに決まってるじゃないか。」

  しどろもどろに答える兄をじろりと見ると、 優生ははあっとため息をついた。

 「ま、 いいけどね。 こうやってここで兄さんの姿見れるだけでも。」

 「え?」

  優生のひとりごちた口調に思わず聞き返す。

  それに優生はにやりと笑ってみせる。

 「ラブラブで結構だねって言ってんの。」

 「なっ」

 「あ、 終わったみたいだね。」

  またまた真っ赤になって言い返そうとすると、 優生は舞台を見てすっくと立った。

  側にいた弟子がすぐさま衣装を整える。

  恭生はタイミングを逃し、 口をぱくぱくさせるだけだった。

  次の演目を告げるアナウンスの声が流れる。

 「じゃあね。 見ててよ、 兄さん。」

  優生は恭生を見て笑うと、 しっかりした足取りで舞台へと出ていった。

  恭生は何も言えず、 ただ黙って見送るだけだった。

  音楽が流れ出す。

  じっと舞台上を見る恭生に、 ジェフリーはそっと寄り添った。

  しばらく優生の舞い姿を見守っていた恭生は、 ふいに笑みをこぼした。

 「恭生?」

  その気配にジェフリーが恭生の顔を覗きこむ。

 「昔を思い出した。」

  恭生は舞台に目を据えたまま、 小さな声で懐かしそうに話した。

 「優生さ、 踊りを習いはじめた時いっつも癇癪起こしてたんだぜ。 どうして俺と同じように

踊れないだって。 当たり前だよな。 あのとき俺はもう2年間も踊ってたんだから。 ずっと

俺の真似ばっかりしてて、 俺の後ついてきてて……なのに、 俺がしばらく見ないうちに

こんなに……嘘みてえ。」

 「……優生さ、 恭生のこと大好きなんだよ。 ずっと恭生のこと心配していた。」

 「……知ってたよ。 そんなこと。」

 「うん。」

  ジェフリーが気遣うように恭生の肩に手を回す。

  今度は恭生も払い落とそうとしなかった。

  優生の舞い姿をじっと見つめながら、 恭生はそっとジェフリーに寄りかかった。

 「恭生?」

  思わぬ恭生のしぐさにジェフリーが驚く。

  上半身をかがめるジェフリーの耳元に口を寄せてそっと囁いた。

 「……見せたいものがあるんだ。 今夜稽古場に来てくれ。」