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  テープから流れ出る曲に誘われるように舞台の端から二人の舞い手が踊り出る。

  二人は曲に合わせて胸にかかる羯鼓を打つしぐさをしながら、 互いに戯れるように舞っていた。

  初めて見る恭生の舞い姿にジェフリーの目は釘付けだった。

 「 ”胡蝶” は2匹の蝶が戯れるように飛ぶ様子を表わしたものでね。 今つけてる鼓や乱拍子鈴太

鼓っていう小さな太鼓を両手に持って音楽に合わせて踊ったりするんだ。 よく小さな子供のお披露目

に使ったりするんだけど、 二人の呼吸が大事でね。 優生のお披露目の時に恭生と踊ったものなんだ

けど、 踊りの稽古の最中なかなか上手くいかなくてしょっちゅう二人がけんかしていたのを覚えてい

るよ。」

  じっと舞台上を見つめるジェフリーに、 逸生が隣から静かに話しかける。

 「……綺麗だな。」

  ポツリとジェフリーがつぶやいた。

 「ん?」

  逸生が聞きとがめて顔を向ける。

 「化粧も装飾品もつけていない、 着物だって練習用の普通のものだ。 なのに二人の舞っている

姿はとても綺麗だ。」

  ジェフリーの言葉に、 逸生はまた舞台に目を戻しながら破顔した。

 「そうだね。 本当は舞踊は舞っている姿だけで充分美しいのだと僕は思うよ。 手、 腕の形、 動作、

姿勢、 体中で表現するもの全てがそれだけで一つの美を生んでいるんだ。 豪華な衣装やセットは

それを引き立たせる脇役でしかない。」

 「……でも恭生はその脇役の一つの為に踊りを諦めた。」

  ジェフリーは舞台から、 いや恭生から目を離さずに言葉を投げた。

  逸生が顔を曇らせる。

 「そう……矛盾だね。 化粧なんて踊るための付属品でしかないと言いながら、 舞台に立つために

着飾れと言う。 素顔で舞台には立てないという考えが僕達を縛っている。」

 「それも日本の……この日舞という世界の伝統なんだろう。」

 「そうだね……」

  二人の会話をよそに、 舞台では恭生と優生が曲に合わせて流れるように舞いを続けていた。

  少女達はそんな二人の姿を必死に目で追っていた。

  ジェフリーはひたすら恭生だけを見つづけていた。

  舞台で舞っている恭生は、 先程舞台にあがる直前まであんなに不安な顔をしていた彼とは、 いや

普段の自分が知っている恭生とは別人のようだった。

  軽やかに、 流れるように舞いつづける姿は本当に蝶が戯れて飛びまわっているようだった。

  音楽に身をゆだねるかのように無心に踊る恭生。

  今彼の心の中には自分の存在はこれっぽっちも無いのだろう。

  ジェフリーはふとそう思った。

 「……恭生は本当に踊りが好きだったんだな。」

  先程までとは違う口調に逸生がジェフリーに視線を向けた。

  ジェフリーは少し寂しそうな顔をしながら言葉を続けた。

 「今恭生は何を考えてながら踊っているんだろうな。 ……あの表情を見れば俺のことなんかどこか

にいってしまっているってのはわかる。 多分あいつにとって踊りっていうのは何にも変え難いものだった

んだろう。」

  そう言ってジェフリーは逸生におどけたような顔を向けた。

 「恭生が踊りをやめていなければ、 俺はどうやってもあいつに振り向いてもらえなかっただろうな。

大失恋して傷心抱えてアメリカに帰っていたかもな。」

  思わず逸生は吹き出した。

 「そうだね。 あの頃恭は寝ても覚めても踊りのことで頭がいっぱいだったからね。 君のことを考える

余裕なんてなかったと思うよ。」

 「じゃあ俺にとってはラッキーだったってことだ。」

 「まだ恭からいい返事もらってないんだろう。」

  ふざけた口調で言うジェフリーをやんわりとたしなめる。

 「それ以外の返事もらうつもりないから。」

  ジェフリーはにやりと笑った。

  逸生はやれやれと首を振りながら言った。

 「まあ頑張りなよ。」

  それきりしばらく二人は黙って舞台上の舞いを眺めていた。





  しばらくしてジェフリーが妙な表情を浮かべながら口を開いた。

 「……なあ、 恭生と優生の踊り方って全然違って見えるんだが。」

  逸生がん?という顔をする。

 「そりゃあ恭生はブランクがあるからね。 どうして踊りにぎこちなさが出る。 それでもあれだけ踊れる

からたいしたものだと思うよ。」

 「違う、 そうじゃなくて……優生ってあんな踊りだったか?」

  逸生の言葉に首を振る。

 「あんな?」

 「ああ、 俺がビデオで見た優生はもっとこう……何て言ったらいいか……そう、 繊細だったような

気がする。 隣の恭生のほうがよっぽど……」

 「ああ、 優生はもともと娘役は苦手だからね。 どちらかというと派手に元気なものの方が好きだし、

今までもあまり娘ものは踊っていないしね。」

 「え、 だって3年前のビデオではあんなに綺麗に……」

 「3年前?」

  ジェフリーの言葉に逸生が眉を顰めた。

 「3年前って……変だな。 優生はここ2、3年大きな会では娘ものを踊っていないはずだけど。

君のお父さんが見たんだろう? それならよっぽど大きな発表会だよね。」

  首をひねって考える逸生に、 ジェフリーも表情を改める。

 「うん、 そうだよ。 3年前というと恭の最後の舞台だったから覚えてる。 確かあの時優生は ”独楽”

をやったんだ。 まだ子供のくせに生意気にあんなのに挑戦して、 結局不満足の出来だったから

後ですごく荒れていたよ。」

  なだめるのに時間かかったんだった、 と笑って言う逸生に、 ジェフリーは自分が妙に緊張していく

のを感じた。

 「じゃあ……じゃあ俺が見たのは……あの踊りは一体誰が……」

 「どんな踊りだった?」

 「紫の衣装をつけて……そうだ三つか四つに連なる笠を両手に持っていた。」

 「ああ、 それなら ”藤娘” だ。 あの時それを踊ったのは……」

  言いながら逸生がふっと笑う。

  もしかしたら……。

  高まる予感にジェフリーの胸の鼓動がドキドキと早まっていく。

  そんなジェフリーに逸生が笑いを含んだ声で告げた。





 「 ”藤娘” を踊ったのは恭生だよ。」