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  恭生の脅しが効いたのか、 ジェフリーの傍迷惑な行動は初日だけで治まった。 それでも機会があれば

優生に積極的に近づこうとしている。 優生の方でも彼の恭生との初対面の出来事を知らないせいもあるの

か、 ハンサムで優しく親切なアメリカ人を気に入っている様子である。

  一度も会ったことが無いはずなのに、 ジェフリーが最初から優生を夢中になって追い掛け回している様子

に、 不思議に思った恭生が一度聞いたところ、 以前彼の父親が来日した時に撮った発表会のビデオで優生

に一目惚れしたらしい。

 「今でもはっきり覚えている。 鮮やかな紫の着物着て踊る優生はそれは可憐で、 最初は女の子かと思っ

ていたんだ。 男だと知らされた時はショックだったよ。 こんなにかわいいのにってね。」

  それでも会いたい気持ちは変わらなくて、 日本に来るために必死に日本語を勉強した、 とうっとりと語る

ジェフリーに半分呆れながら、 恭生は 「こいつ重症だ……」 と思った。

  家元という家柄、 家の中にはいつも人がひっきりなしに出入りする。 恭生の父も客だ、 外出だ, 弟子の

稽古だと一日中忙しい。 中学3年の優生も学校から帰ってくると踊りの稽古やら高校受験の勉強やらで、

なかなかジェフリーの相手をしている暇は無い。 結局想像したとおり、 必然的に恭生がもっぱらジェフリー

の相手をすることになった。 ジェフリーの方でも家の忙しさは判るらしく、 暇なときは恭生の部屋に来るよう

になっていた。 恭生が高校へ行っている間は街に一人で出たりしているらしく、 彼が学校から帰ってくると

時々ジェフリーが買ってきたのだろう妙なものが部屋に転がっていたりする。 この間ははんぺんが一つ転

がっていた。 白くあのなんとも言えないふわふわ感が気になったらしい。 そのまま一口食べると黙ってし

まったが。

  たまに部活が早く終わった時は、 一緒に出かけて東京を案内した。

  ジェフリーは日本の文化にも興味があるらしく、浅草では仲見世を歩きながらちょうちんや江戸趣味の小

玩具に大喜びしていた。裏側にある小道具屋では熱心にかんざしや舞扇を眺め、柿渋を塗った持扇を手に

店主に作り方を教えてくれとつめよったりしては、 恭生につまみ出されていた。

 「まったく何考えてんだ。 お前は。」

  それでも舞扇をニ扇しっかり購入したジェフリーに、 恭生は本日何度目かのため息をついた。

 「あまりにいい色だからつい、 ね。 それよりこの扇、 優生に合うと思わないか。」

  嬉しそうに今購入したばかりの扇を恭生に見せる。 もう言う言葉もなく、 恭生は駅へと歩き出した。

  家に帰ってきてどっと疲れを感じた恭生は、 風呂に入ろうとしたところをジェフリーに呼び止められた。

  今度は何だと身構える恭生に、 ジェフリーは細長い包みを手渡した。

 「恭生に似合う色だと思ってね。 よかったら使ってくれ。」

  good night、 と言って自分の部屋に戻っていったジェフリーをぼうっと見送り、 恭生は包みに目を落

とした。 包みには先程ひともんちゃくあった小道具屋の名前が印刷されていた。

 「俺に……?」 

  部屋に戻った恭生が包みを開くと、 中には綺麗な薄紫の舞扇が入っていた。

 「何だよこれは……」

  目の前の扇をじっと見つめながら、 恭生はぽつっとつぶやいた。

  胸の中になんとも言えない感情が込み上がってくる。

 「……俺に似合うってか、 この色が。」

  この日舞が中心の家の中で恭生だけが踊りを踊らない。 そのために恭生は一人離れの部屋に住ん

でいる。 別に家族との間に問題があるわけでもない。 仲は良い方だ。 食事や風呂などは母屋を使って

いるし兄や弟ともよく話をする。 ただ、 弟子などが始終出入りし、 練習の声や音楽が聞こえる母屋の雰

囲気に恭生は自分の身の置き所がないように感じたのだ。

  この離れまでは踊りの空気も入ってこない。 普段は恭生は踊りとは関係のない生活を送っている。

  なのに……。

 「よりによって紫とはね……」

  恭生は微苦笑を浮かべながら、 震える指先で目の前の扇をそっとなでた。