N G
27
次の朝、
逸生の爆弾発言が頭の中をぐるぐるとまわってろくろく眠れなかった恭生は、
睡眠不足で ぼうっとしながら部屋を出た。 一晩中考えた末、 もう一度逸生とじっくり話し合う必要があると思ったのだ。 今の自分ではとても発表会の手伝いなど出来ない。 踊りの世界から離れてもう三年にもなるのだ。 その間、 踊りと名のつくものには一切関わらないようにしていた。 当然今皆がどのようなことをして いるのか、 今回の発表会の趣旨がどのようなものなのかすらわからない。 何しろ自分の家なのに一体今何人の弟子がいるのかも知らないのだ。 こちらもそうだが相手の方 でも恭生の顔を知らない者は多いだろう。 そんな中でどうしろというのだ。 それに自分の感情の問題もある。 踊りを諦めたと言いながら、 心のどこかで捨てきれていない自分に恭生は気付いていた。 そんな気持ちのままでもう一度あの世界を目にした時、 自分が果たして冷静でいられるのか、 恭生自身わからなかった。 鬱々と考えながら母屋に向かっていた恭生は、 ぶつかりそうになるまで前に人が立っている 事に気付かなかった。 「おっと……」 はっと気付いて思わず体を傾けた弾みによろける恭生を、 力強い腕が支えた。 嗅ぎ慣れたコロンの香りに顔をあげると、 ジェフリーが微笑んでこちらを見ていた。 「おはよう、 恭生。 よく眠れたか? 体の調子は?」 「あ、 ああ……もう大丈夫……」 知らずジェフリーをぼうっと見ていた恭生は、 優しく尋ねる彼の言葉に途端どぎまぎとしてしまう。 昨日あんな気まずい別れ方をしたのだ。 今日会うつもりだったとしても、 まだ心の準備が出来てなかった。 何をしゃべったらいい? まずは昨日のことを謝って……いや、 礼が先か。 でもそれもおかしいし、 ああ俺の胃が悪くなったの自分のせいだって思ってるって。 違うって言わなきゃ……違うじゃなくて こいつのせいでもあるけど、 でも俺も悪いし。 あああ何て言えば……っ 頭の中をいろいろな言葉がまわり、 何から話せばいいのかわからない。 はじめの言葉が出てこず黙ったままじっと立ち尽くしていると、 ふと頬に触れるものを感じた。 はっと目を向けると、 ジェフリーの顔が近づいてきていた。 何がと考える間もなく、 大きな両手で頬を包まれそのままこめかみに軽くキスされる。 その感触に一瞬呆然とした恭生は、 次の瞬間真っ赤になった。 「思ったより元気そうで安心した。」 そんな恭生の様子にジェフリーはさらに破顔した。 「おっお前、 朝っぱらから……!」 先程までどう話そうか悩んでいたことも忘れ、 恭生はこめかみを手で押さえて怒鳴りつける。 「こういうことをするなって言ってるだろうっ 恥ずかしい奴だなっ」 「どうして? 軽い朝の挨拶だろう。 恭生のかわいい顔を見ていたらどうしてもキスしたくなる。 あ、 それともキスの場所が不満か? どこか希望でも?」 どこでもお望み通りしてあげるよ、 と笑って手をのばしてくる手を叩き落とし、 恭生は沸騰せん ばかりに真っ赤になって大声で怒鳴った。 「馬鹿やろうっっ! そんなこと言っていないっ!!」 「朝から賑やかだねえ。」 その声にさらに怒鳴ろうとしていた恭生の口がぴたりと閉じる。 「あれ、 もうおしまいかい?」 なんだと言わんばかりの口調に、 恭生が渋い顔をして廊下に立つ兄に目を向けた。 「逸生兄さん、 いつからそこに?」 「ん〜〜ジェフリーが恭にキスしたちょっと前からかな。」 その言葉に全て見られていたと知った恭生は、 また真っ赤になる。 「仲が良い様でいいねえ。 でもいちゃつくのは部屋の中にして欲しいな。 こっちは一人身 なんだ。 目の毒だよ。」 「違うっ こいつが勝手に……っ」 ニコニコと告げる兄に恭生は反論しかけて途中でやめた。 昨夜でわかった。 この兄に下手に反論するととんでもない方向に話がいく可能性があるということに。 だから本当なら抗議したい言葉を恭生はなんとか聞き流そうとした。 「ちょうど良かった。 兄さん、 昨日の話のことでちょっと……」 「ああ、 そうだ。 今日発表会の招待状や会場関係のことで業者が来ることになっている。 悪いけど 恭達で応対してくれないか。 招待客の名簿や当日のプログラム予定や計画表は後で渡すから。」 「なんでっ」 突然のことに恭生は驚いて大声を出した。 「どうしてって僕はこれから衣装のことで出かけなきゃいけないし、 優生は仕上げの稽古がまだまだ ね。 父さんたちはお弟子さんの指導で手が離せないから仕方ないだろう。 恭ならプログラムを見れば 舞台のチェックできるし、 少しブランクがあっても今まで何度もやってきたから手順もわかるだろう。 どうしてもわからないことがあれば父さんか母さんに相談して。」 じゃあ頼んだよ、 と手を振ると逸生は恭生は反論する暇を与えずに玄関に去っていった。 「頼んだよってそんな簡単に……。」 内輪のものといえど発表会となるとそれ相当の準備が必要になる。 その中でも舞台関係の準備は 大掛かりなものになる。 踊りによって装置が変わるし、 プログラムの流れで準備の仕様も変わる。 重要なことは父や他の 担当者が決めるとしても恭生の肩には重すぎる仕事だ。 「手伝いって言ったじゃないか……こんなこと……」 部屋を出るまではどうやって兄に手伝いを断ろうかと考えていたのに、 それどころか事が大きく なっていき、 恭生は頭を抱えるしかなかった。 そんな恭生の頭を隣に立っていたジェフリーがぽんぽんと叩いた。 「恭生、 大丈夫だ。 俺も出来る限り手伝うから。 とにかく一度恭生のお父さんの所に行って 詳しく話を聞こう。 どういうことをすれば良いのか、具体的なことを聞かないとわからないだろう。 今ならまだお父さんも時間が有るはずだから。」 「う、 うん」 ジェフリーの優しい声に少し落ち着きを取り戻した恭生は、 とりあえず父のところへ行って 話を聞く事にした。 結局自分はこの発表会を手伝うことになるのだろうと諦め半分に思いながら。 また踊りに関わることになる自分に不安を感じながらも、 その不安が肩にそっと置かれた ジェフリーの手の暖かさに少しづつ薄れていくような気がした。 |