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 「距離をおくって……」

  とっさに自分をタクシーに押し込んだ時のジェフリーの様子が思い出された。

  なんとも言えない顔をして、 気まずそうに自分を見つめていた彼。

  それでは彼はやっぱりいつまでもはっきりと応えない自分に匙を投げたのだ。

  そう考えた瞬間、 恭生は心の中に冷たいものが広がっていくのを感じた。

 「違うって言ったろう。 あいつは来れ以上恭を苦しめたくないんだってさ。 でも近くにいるとどうしても

自分を見て欲しくなる。 また同じ事をしてしまう。だからしばらく距離を置いて自分の頭を冷やしたい。

そういう理由で言ったんだよ。」

  一言つぶやいたきり絶句してしまった弟の表情に安易に考えていることが読めて、 逸生は苦笑して

恭生の考えを否定した。

 「逸生兄さん……俺、 どうしよう。 そんな、 あいつが悪いわけじゃないのに……俺がはっきりしない

から……だから……。」

  途方にくれた顔で兄を見上げる。

 「本当は恭はどうしたい?」

 「俺?」

  逸生の問いかけに恭生は目を瞬かせる。

 「そう。 あいつのこと、好きなんだろう?」

  恭生は真っ赤になって俯いたが、 しばらくしてかすかに頷いた。 そしてかすかに聞こえる声で言った。

 「……変だよな、 あいつも男なのに。でも、 自分でもわかんないけど、 あいつといるとなんかほっと

して……好きなこと言えるんだ。 なんか楽に息が出来るような。」

  逸生は恭生の言葉に顔を綻ばせた。

 「変じゃないよ。 恭が自然に笑える相手が見つかって良かったって、 僕も優生も思ってる。 今まで

恭がどれだけこの家で肩身が狭かったか、 悩んでいたか知っているから。 だからいいんだ。 恭が

楽に接することが出来るんなら、 自然に笑えるんならそれが一番。」

 「兄さん……」

  逸生の思わぬ言葉に、 恭生は今まで自分がこの兄と弟をどれだけ心配させていたのか気付いた。

  きっと自分が踊りを忘れようと心のどこかを閉ざしていた間も、 そのために家族にさえよそよそしく

なってしまったときも彼らは自分を暖かく見守っていてくれたのだろう。

  初めて気付いたそのことに、 恭生は思わず胸が熱くなるのを感じた。

  この兄や優生と家族で良かった、 心からそう思った。

 「でも恭はもう少し、 素直にならないとな。」

  そんな恭生を見ながら、 逸生は言葉を続けた。

 「ジェフリーが好きなら好きとはっきり言わないと。 変に悩んだりするから体も悪くするし、 ジェフリー

が誤解してしまってこんなことになる。」

 「だって……」

  思わず反論しかけた恭生を制して逸生はなおも言った。

 「ジェフリーは距離をおきたいって確かに言ったけどね。 僕は反対したよ。 だから明日からはまた

いつも通り。 恭もさっさとあいつに告白してすっきりしなさい。」

  しんみりとしていた恭生は、 その言葉に目を見開いた。

 「え……だって・……。」

  たった今までジェフリーとの事をどうしようと思っていたのにいつも通りと言われ、 恭生はとっさに

言葉が出てこない。

 「僕は恭の事を心配しているけどね、 甘やかすつもりはないよ。 自分のことは自分で始末するように。

悩み事も一緒。 ジェフリーには変な遠慮はなしにどんどん恭を追い詰めてやれって言っておいたから。」

 「おっ追い詰める?!」

 「彼も悩んでいたけどね、 最後には僕の言葉に納得して承知したよ。 だからどんどん迫られな。

彼も容赦なくいくと思うから。」

 「逸生兄さん!」

  あまりの事に恭生は思わず怒鳴っていた。

  先程の話は何だったのか、 騙されたんじゃないかという気持ちだ。

 「僕も優生もちゃんと見守っていてやるから。 もっとも優生は納得していないようだけど。 さっきも

お前に忠告に来たようだし。 でもお前さえ落ち着けばあいつも納得するだろ。 だから大丈夫だ。」

 「何が大丈夫なんだよっ」

  要するに結局はいままでと同じ、 ジェフリーも昨日までと同じように自分に迫ってくるということだ。

  いや、 逸生達の了承を得た分さらに強引になってくるかもしれない。

  そりゃ素直に彼を信じてやれない自分も悪いとは思った。 あいつを傷つけてしまった自分に自己嫌悪

した。 なんとかしなければいけないとも思った。 思ったけど……っ

  恭生はいろいろな思いが頭の中をぐるぐる廻って気が遠くなりそうだった。

  そんな彼に逸生はさらに追い討ちをかけるように言った。

 「それからね。 僕達ももう恭に変な遠慮や気遣いはしないことにした。 これからはどんどん言いたい

こと言うよ。 気を使ってばかりいるなんて家族とは言えない、 そう気付いたからね。 だから恭にも

そうして欲しい。 まずは今度の踊りの発表会だ。 今まではお前の気持ちを考えて言わなかったけど

裏の仕事が忙しくて人手が足りない。 だからお前とジェフリーに手伝ってもらうよ。」

  逸生のとどめの一言に、 今度こそ恭生は自分の気が遠くなるのを感じた。