N G

21

 

 「ちょ……っ やめろよ、 こんな所でっ その手を離せ 危ないだろっ」

  炊事当番で調理室の流しに立ち、 ジャガイモの皮をむいていた恭生は、 いきなり腰に回された腕に

驚いて思わず包丁を落としそうになった。

 「そうやってエプロンをつけて料理する恭生もいいね。 そそるものを感じるよ。」

 「……ばかなこと言ってんな。」

  ジェフリーの言葉に赤面しそうになる。 が、 興味しんしんの他の食事当番の部員達の目もある。

  なんとか平然とした顔を保つ。

 「何か手伝おうか? 君と二人で食事の仕度をするのも楽しそうだ。 同棲している気分になるね。」

 「二人じゃない、 他の奴らもいるぞ。 それにこれは合宿。」

  とんでもないことを言うジェフリーを睨みつけ、 恭生は部員達を包丁で指差した。

 「あ、 俺達のことはお構いなくっ。」

 「先輩っ サラダの分の野菜足りないみたいなので、 俺達ちょっと買い足してきますっ」

 「あっ お前ら……っ」

  恭生が引きとめようとする間もなく、 同じ食事当番だった1年達3人は皆調理室を飛び出して行って

しまった。

 「気が利くね。」

  呆然と彼らの後ろ姿を見送る恭生の側で、 ジェフリーが嬉しそうに笑った。





  ジェフリーの言った言葉は嘘ではなかった。

  次の日から彼は暇さえあれば恭生の側にいるようになった。

  しかも人目もはばからず、 猛烈にアタックしてくる。

  さすがに練習中は控えているようだが、 それ以外では部員の前だろうがなんだろうがかまわず

肩や腰に手を回す、 耳元で愛の言葉を囁く、 頬にキスしようとする、 etcetc……。

  昨夜など夕食のときに恭生を自分の膝に乗せようとしかけた。

  さすがに必死で抵抗し、 未遂に終わったが……。

  朝から晩まで所かまわず迫ってくるジェフリーに、 恭生は惚れた弱みもあって強く拒めない。

  しかしハードな練習とジェフリーとのやり取りによる精神的な疲れは、 恭生の思った以上に重い

ストレスになっていた。





 「恭生、 こっち向いてくれないか。」

 「……」

 「もうそれはいいだろう。 そんなにかき回すと鍋からこぼれるよ。 火を止めてこちらで休んだら?」

  調理室の中は合宿の定番カレーのスパイシーな香りでいっぱいになっている。

  背を向けてひたすら無言に鍋をお玉でかき回す恭生の姿に、 ジェフリーは苦笑を禁じえない。

  恭生の背中が緊張しているのがよくわかる。

  おそらく内心では彼が次にどういう行動にでるのか、 びくびくしているのだろう。

  だがそれが決して嫌悪からきているものではないことにジェフリーは気付いていた。

  その証拠に彼は今もこの部屋の中にいる。

  もし本当に嫌ならさっさと部屋から出ていっただろう。

  もしくは大声で他の部員を呼んでいるか。

  しかし恭生はそんな素振りさえ見せない。

  だからジェフリーも余計な遠慮も気遣いもしなかった。

  少しは自分を受け入れてくれているのだと思うから。

 「恭生はどんな格好でも綺麗だな。 たとえカレーのルウを頬につけていてもね。」

  ジェフリーのからかい混じりの言葉に、 恭生はあわてて手の甲で自分の頬をぬぐった。

  その様子を笑ってみている彼をぎろっと睨みつける。

 「いつまでここにいるんだよ、 さっさと皆の所に行けよ。 先生に皆のコーチを頼まれているんだろ。」

  ぶっきらぼうに告げる恭生だが、 その頬は赤く染まっていた。

 「せっかく君と二人きりなのに? そんな勿体ないことできないよ。 皆にはいつもの練習をしていてもら

おう。」

 「お前、 何のためにこの合宿に参加したんだよ。」

 「決まってるだろう。 何度も言うように君の側にいるため、 それ以外何の理由がある?」

  まな板を洗ったり人数分の食器を出したりと、 ジェフリーに近寄らないように動き回る恭生を楽しそうに

ながめながら答える。

 「勝手な奴。 お前のおかげで合宿がめちゃくちゃだ。」

 「そうでもないだろう。 ちゃんとコーチの仕事もしているじゃないか。」

 「自分の気が向いた時にな。 ほとんど俺に引っ付いているくせに。」

 「当たり前だろう、 そのためにここにいるんだから。 皆をコーチするために君を放っていたら本末転倒

だろう。」

  恭生がむっすりと黙り込む。

  炊飯器が炊き上がりの合図を出した。

  中身をかき混ぜようとしゃもじ片手にふたを開けるが、 途端に吹き出す蒸気に顔を背ける。

  その拍子にしゃもじを持った手が熱い金属部分に触れてしまう。

 「熱っ」

  手のひらに痛いほどの熱さを感じ慌てて手を離す。

 「恭生っ」

  その様子にジェフリーが駆け寄ってくる。

  恭生の手を掴むとそのまま蛇口の下に持っていき、 勢いよく水を出す。

  恭生が手を振り払う間もなかった。

  そのままじっと流れる水に手を浸す。

  しばらくすると痛みは治まったが、 そうなると今度は後ろから覆いかぶさるようにして自分の手を掴んで

いるジェフリーの体が気になってきた。

  背中に彼の体温をまざまざと感じる。

  心臓がドキドキと飛び出しそうなほど早く鼓動するのがわかる。

 「もっ もういいからっ。 もう大丈夫、 治まったから手、 放して……っ」

  自分の手首を掴むジェフリーの手を振り払おうとするが、 反対にますます力をこめられた。

 「放せって」

  気がつくと反対の腕はいつのまにかしっかりと恭生の腰にまわっている。

 ”やばい……っ”

  自分達の体勢に気づき恭生は慌てた。

 「ジェフリーっ 放せよ。」

  声を荒げるが、 腕が緩むことはない。

  ここ数日で覚えた彼のコロンのかすかな香りが鼻をつく。

  その香りに包まれ、 強く抱きしめる腕の中で彼の体温を感じることにふと心地よさを覚える。

  恭生はジェフリーの腕の中にいることに慣れ始めた自分に気付き愕然とした。

 ”だめだ、 このままじゃ俺は……っ”

  彼の存在を、 彼が側にいることが当たり前になりつつある自分が怖くなった。

  このままではいつか彼の言うとおり 「好きだ」 と彼に告げてしまいそうだった。 彼が優生を、 他の誰か

を好きだとしてもかまわず縋りついてしまうかもしれない。

  そんな自分を想像してぞっとした。

 「放せっ 放せったら……っ」

  全身の力をこめて暴れる恭生に、 ジェフリーはたじろいだように手を放した。

  すかさず体を離し、 彼の手の届かないところまで逃げる。

 「恭生……」

  うつむいたままはあはあと肩で息をする恭生に、 ジェフリーが困ったように声をかけた。

 「なんで……どうして放っておいてくれないんだよっ 俺なんか放って優生のところに行けよっ」

  恭生の今まで抑えていた感情が爆発する。

 「できない。 俺が好きなのは君だと言っただろう。」

  ジェフリーはそんな恭生に真剣な顔で言い返す。

 「君に俺の気持ちを信じてもらうまでずっと側にいる。 君が嫌がってもね。」

 ジェフリーの迷いを微塵も感じさせない口調に、 恭生はかっとなった。

 「勝手なことを……っ」

  言いかけて途中で言葉が途切れた。

  いきなり胃の辺りに鋭い痛みが走ったのだ。

  恭生はその場に崩れるようにうずくまった。

 「うう……っ」

  痛みは少しも治まらず、 だんだんとひどくなっていく。

  あまりの痛みに意識が朦朧として痛み以外何も考えられなくなる。

 「恭生?」

  異変に気付いたジェフリーが顔色を変える。

 「どうしたっ恭生!」

  必死に呼びかけるジェフリーの声も認識できない。

  そのまま恭生は意識を失った。