君が好き

 

 

                                             

  帰宅した朔巳は机の上に置いているノートパソコンを開きメールを確認した。

  一通入っている。

  もう見慣れたその名前を、 かすかな罪悪感と共にじっと見つめた。







  初めて弟の代わりに返事を書いてからもうずいぶん経つ。

  朔巳は多谷からメールが届くたびに、 もうこれで止めよう、 本当のことを

打ち明けよう、 と思いながらもどうしても打ち明けることが出来ず、 弟の振りを

してメールを書き続けた。

  メールの中の多谷は優しかった。

  弘海が言っていたとおり、 朔巳の書く一言一言に丁寧に返事をくれる。

  文章の端々から多谷から弘海に対する気遣いが伝わってくる。

 ” 怪我の具合はどうですか? まだまだ歩けるようになるまで時間がかかる

のかな? でも早く治そうと無理はしないように。 ”

  メールを開くと、 朔巳の嘘を信じて弘海の身を案じる多谷の言葉が目に

飛びこんできた。

  朔巳はあの日のことを事故に遭って怪我をしたために行けなかった、 と

伝えた。

  命に別状はないが、 当分外に出られない、 足を骨折している、 と。

  多谷からの返事はすぐに返ってきた。

  ” 大丈夫ですか? そんなこととは知らずにこの間君を責めるようなことを

書いてしまいました。 悪かった、 ごめん。 早く体を治してください。 そして今度

こそ君に会ってみたいです。”

  多谷の優しいメールを見た瞬間、 朔巳の目から涙がこぼれた。

 ”君に会いたい”

  これが弘海に向けられたものであっても、 初めて自分の言葉に答えて

くれた多谷の言葉だったのだ。

  このメールの中で自分と多谷が繋がっていることを実感したのはその時だった。

  そして、 朔巳はそれからずっと弘海の振りをし続けていた。







  返事のメールを打ち終わり、 朔巳はふうっとため息をついて椅子に背を預けた。

  メールを送信し終わった後は、 いつも罪悪感と後悔に襲われる。

  弘海の振りをして多谷を騙している罪悪感。

  死んでしまった弘海を利用しているんだという疚しさ。

  そしてそんな自分への嫌悪感。

  どうしてこんなことをしてしまったのかという後悔。

  弟はこんな自分をどう思うだろうか。

  朔巳は弘海がどこかで自分を見ているような、 そんな気分になった。

 「弘海……汚いよな、 俺。 お前、 死んでしまったのに、 もういないのに

こんなことしてる俺なんて……」

  目を閉じると弘海の責めるような顔が浮かぶ。

  その目は、 どうして朔巳が多谷とメールをしているのだ、と言っていた。

 ”兄さん、 俺多谷さんのこと好きなんだ”

  あの言葉が聞こえてくる。

  そしてその後に続く言葉。

 ” 多谷さんを取らないで ”

  罪悪感からか。

  いつからか弘海がそう朔巳を責めるように言う言葉が聞こえてくるようになった。

 「……ごめん。 もう少し……もう少しだけ、 夢を見させてくれ……」

  朔巳は目を閉じてそうつぶやいた。







  パチン

  パソコンの電源を切った後、 多谷はたった今読んだ文章を思い出して

ふっと笑みを浮かべた。

  少し前から来るようになったメール。

  差出人は高校生の少年だった。

  弘海という名前の彼は、 それから熱心にメールを送ってくるようになった。

  それまではたいして歴史に興味がなかったのだろう。

  送られてくるメールの内容は、 簡単な質問や感想が主だった。

  それでもその文には彼の素直な性格がよく表れていた。

  一生懸命に調べて書いているのだろうと分かるちょっとした意見。

  自分が書いた返事を素直に喜ぶ言葉。

  多谷への憧れや尊敬の気持ちがにじみ出ているようなそのメールは、

多谷の心を和ませるに充分だった。

  その彼から突然会いたいとメールで言われたときには驚いた。

  しかし多谷も少年に会ってみたい気持ちが強く、 承知の返事をした。

  約束の日、 ところが彼は現れなかった。

  それからメールもぷっつりと途切れ、 次第に多谷は騙されたのかと

疑念を抱くようになった。

  事故に遭って足を骨折してしまい今歩くことが出来ない。

  そう伝えるメールが届いたのはそんな時だった。

  そして、 また彼とのメールが再開した。

  まだ本調子ではないのだろう。

  以前に比べて短い文しか送られていないそれは、 しかし前を同じ多谷を

和ませるものだった。

  事故に遭ってすこし変わったのか、 自分に対する気遣いのようなものまで

感じられるようになった。

 「弘海君か……本当、 一度会ってみたいよ、 君に。」

  多谷はまだ見ぬ少年に向かってそっと囁いた。