君が好き

 

35

 

 

 

    多谷は目の前に座る忌々しい男の顔を睨みつけた。

  そんな多谷に伊勢も部屋に来たときから浮かべていた厳しい表情を崩さない。

 「……何の用だ。」

  低く問う多谷に答えず、 伊勢は部屋の中をぐるりと見回した。

  机に上にあるパソコンに目を止める。

  じっとそれを見る伊勢の目には何か言いようのない光が浮かんでいた。

 「……おいっ」

  何も言わない伊勢に焦れた多谷が、 苛々と声をかけた。

 「……お前、 ”弘海”って名前に覚えあるだろう。」

  突然何の脈絡もなく吐かれた言葉に、 多谷は驚いた顔をした。

  その名前なら知っている。

  たった今、 彼からのメールを受け取ったばかりだった。

  しかしどうして伊勢が……

 「どうしてお前が弘海君を知っている?」

  不思議に思って多谷が尋ねると、 伊勢が沈んだ笑みを浮かべた。

 「……お前、 不思議に思わなかったのか。 あんなに熱心にメールを送ってくる彼の

ことを。 どうして彼があんなに熱心なのか。」

 「お前何を知ってる?」

  淡々と話す伊勢に多谷が苛立った声を出した。

  伊勢が部屋に入って初めて多谷に顔を向けた。

  まっすぐに多谷の顔を見る。

  その視線の強さに少したじろぐ。

 「……弘海君のことならよく知ってるよ。 ……いや、 知っていた、 と言うべきだろうね。」

  過去形で告げられた言葉に多谷が気色ばむ。

  伊勢がそれから語ったことは、 多谷にとって信じられないものだった。











  全てを語り終えた伊勢が、 暗い目で多谷を見つめる。

  多谷は呆然とした表情で床に座りこんでいた。

 「そんな……まさか、 朔巳が…………」

  うめくようにつぶやく。

  信じられなかった。

  弘海がすでに死んでいたことも、 自分のメールの相手が実は朔巳であったことも。

  そしてその理由が複雑に絡んだ朔巳の想いにあったことも。

 「朔巳が弘海君だった……? 弘海君の振りをしてたっていうのか。」

 「わかっただろう……朔巳が好きなのは、 ずっと想っていた相手が誰だったか。

…………それは、 俺じゃない。」

  はっとして多谷が顔をあげる。

  伊勢の顔には苦悩の表情が浮かんでいた。

 「俺は朔巳を助けたかった。 ずっとあいつを、 あいつだけを見つけ続けてきたんだ。

お前なんかに朔巳を渡したくなかった。 でも…………俺じゃダメなんだ。」

  苦しそうに悔しそうにそうつぶやく。

 「あれから朔巳は外に出ようとしない。 俺のこともちゃんと見ていない。 どれだけ

話しかけても何を言ってもだめなんだ。 あいつの心の中に今あるのは、 たった一つ

残ったお前とのメールのことだけだ。」

  伊勢が厳しい目で多谷を睨む。

 「朔巳のことが許せないか? ……ずっとお前を騙してメールを続けてきたあいつが。

でも朔巳は必死だったんだ。 弘海君を……弟を死なせてしまったのは自分だと、 そう

思い込んで、 必死に弟の代わりにお前にメールを送った。 お前に弟の想いを伝えようと

した……自分の想いを殺してまで。」

  伊勢の言葉に多谷は何も言えなかった。

  あまりのことに言葉が出てこなかった。

  脳裏にいつも儚そうに笑っていた朔巳の笑みが浮かぶ。

 俺は………

  朔巳が愛しい。

  そう思う気持ちに変わりはなかった。

  今も彼のことを思うだけで体が熱くなる。

  しかし、 ずっと朔巳が自分を偽ってきたのだという事実が多谷の心に棘を刺す。

  その時、 先ほどのメールを思い出した。

  最後に書かれていた1文。

  あれは………

  多谷の目が何かを悟ったかのように見開かれた。

  そんな多谷に伊勢が爆弾を落とした。

 「……朔巳を抱いたよ。」

  多谷の顔がさっと伊勢に振り向く。

 「何だとっ」

 「さっき、 朔巳を抱いてきた。 …………あまりに痛々しくて見てられなかったから。

だから、 抱いた。」

  多谷の頭にかっと血が上る。

 「貴様………っ」

  思わず伊勢の胸倉を掴む。

  拳を振り上げそうになって、 黙って自分を見る伊勢の静かな目に体が止まった。

  多谷は振り上げた手を下ろすと、 そのまま部屋を飛び出していった。









  多谷が飛び出していった部屋の中で、 伊勢は自嘲するように笑みを浮かべると

ポケットからタバコを取り出した。

  火をつける手がかすかに震えている。

 「……ばかやろう、 最後まで抱いちゃいねえよ。」

  あの、 多谷の名を呼んだときの朔巳の想いの全てがこもったような声に、 伊勢は

それ以上朔巳を抱くことが出来なかった。

  これ以上は朔巳を汚すだけだと思った。

  だから、 そのまま腕に抱いたまま朔巳が眠りにつくのを見ていたのだ。

 「朔巳………」

  目を閉じて、 愛しい姿を思い浮かべる。

 「これでお前、 解放されるか? また、 笑えるよな………」

  伊勢の閉じた目から一筋だけ、 静かに涙が流れた。