君が好き

 

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   「……英俊?」 

  朔巳が目覚めたとき、 伊勢の姿は部屋の中になかった。

  ベッドの上に身を起こした朔巳は、 上掛けが落ちてあらわになった肌に昨夜のことを

思い出した。

  ……そうだった、 夕べ僕は英俊と……

  愛してる、 と囁かれながら、 自分の肌の上に落とされた伊勢の熱い息を思い出す。

  伊勢は優しかった。

  どこまでも優しく朔巳を抱いてくれた。

  自分を抱く腕の強さに涙がこぼれた。

  初めて素肌に感じた他人の体温は、 朔巳にとって衝撃的なものだった。

  朔巳はまだ生々しく残る記憶に、 自分の体を抱きしめるようにベッドの上にうずくまった。

  これで、 もう忘れるんだ。

  ぼんやりとそう考える。

  俯いた目に、 床に放り出されたままのパソコンが目に入った。

  フラフラと裸のままベッドから下りると、 その前にペタンと座りこんだ。

  メールを開くが、 新しいものは受信されていなかった。

 「……弘海、 和春に何を書く?」

  画面をうつろな目で見ながらつぶやく。

 「何にしようか。 またお前の好きなものでも教える? それとも……」

  うっすらと笑みさえ浮かべながら、 朔巳は誰もいない部屋の中で弟に話しかける。

  カタカタと指先でキーを打つ音が鳴る。

  暖房もはいっていない部屋の中は、 冬の朝の冷気に冷たく冷えている。

  しかし、 朔巳は寒ささえ気付かない様子で、 裸のままひたすらキーを打ち続けた。

  打ち終え、 送信しようとして、 ふと首をかしげる。

 「そうだ。 弘海、 和春にそろそろ言わなきゃね、 お前の気持ち……。 お前も早く

和春と恋人になりたいだろう。 ……きっと喜ぶよ、 彼。」

  最後に、 短く一文付け加える。

 そして今度こそ送信ボタンを押した。

  すぐに送信完了の表示がされた。

 「……きっと、 喜ぶよ。」

  そう微笑みながらつぶやく朔巳の頬をまた涙が流れた。











  まだ薄暗い早朝、 多谷は始発の電車でようやく家に帰ってきた。

  明け方まで友人達と酒を飲んでいたのだ。

  ずいぶんと飲んだはずなのに少しも酔えなかった自分に自嘲しながら、 玄関横の

キッチンで水を飲んだ。

  そのままばしゃばしゃと顔を乱暴に洗う。

  全身に酒とタバコの匂いが染み付いていて気持ちが悪かった。

  顔を洗うだけではすっきりとせず、 多谷は酒臭い服を脱ぎ捨てながらユニットに入った。

  一人暮らしのワンルームの部屋の風呂は、 トイレと一緒のユニットでバスタブも狭い。

  バスタブの中で熱いシャワーを浴びると、 だんだん頭がはっきりしてきた。

  酔っていないようでも、 少しは酔っていたようだ。

  多谷は頭からシャワーを浴びながら、 酔えない原因を考えていた。

  理由は判っている。

  朔巳のことだった。

  あの日、 伊勢と二人歩き去った後、 朔巳の姿を見かけなくなった。

  向こうが自分を避けているのかもしれない。

  そう考えて自嘲する。

  当然だ。

  自分が振った男と顔を合わせるのは気まずいことだろう。

  まして朔巳のようにまず人のことを先に気遣う人間にとっては。

  やり場のない苛立ちがまた体の中に湧き起こる。

  朔巳を諦めきれない自分に腹が立つ。

  あれから1ヶ月近く経っているのに、 少しも朔巳のことが忘れられない。

  それどころか、 ますます心の中に大きくなる。

  あの優しく笑う顔が見たかった。

  あの声が聞きたかった。

  夜になると、 朔巳のことを考える。

  今ごろ朔巳は伊勢と一緒なのだろうか。

  あいつに抱かれているのだろうか。

  その場面を想像して、 気が狂いそうなほどの嫉妬と怒りを覚える。

 「ちくしょう……っ」

  多谷はやけどしそうなほど熱いシャワーを浴びながら、 苦しそうにうめいた。







  激しい激情がやっと少し落ち着きシャワーを出た多谷は、 ジーンズをはいただけの

上半身裸のまま、 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。

  ベッドに腰掛けて飲もうとして、 机の上でちかちかとメールの受信を知らせる光に

気付いた。

  開いてみると、 いつもの彼からだった。

 「弘海君か……」

  彼からのメールはいつも気持ちを落ち着かせてくれた。

  多谷は表情を和らげながら、 メールを開いた。

  いつもどおり、 何の事はない他愛ない話が続く。

  無邪気なほどのそれに、 だんだんと多谷の心が落ち着いていく。

  だが、最後の一文を目にしたとき、 その表情が驚いたものになった。

  驚きがだんだん不審なものに変わっていく。

  その文をじっと見つめる多谷の目は何かを考えるようだった。

  ピンポーン……

  突然鳴ったインターフォンに、 多谷ははっとした。

 「……誰だ、 こんな時間に。」

  時計を見ると、 まだ7時前だった。

  こんな朝早くに訪れる人間に心当たりはない。

  ピンポン、 ピンポン、 ピンポーン……

  眉をひそめる多谷をせかすかのように、 インターフォンは何度も何度も鳴り続けた。

 「はいっ 誰だっ?」

  インターコムを取り上げた多谷は、 不機嫌な声で誰何した。

 ” …………伊勢だが… ”

  返ってきた声に、 多谷は目を見開いた。