君が好き

 

28

 

 

 

    頬を埋めた胸からトクトクトクと少し早い鼓動が聞こえてくる。

  朔巳はうっとりと多谷の腕の中の暖かさを感じていた。

 「……朔巳……」

  朔巳を抱きしめていた多谷が、 そっと朔巳の頬に手をやった。

  そのまま顔を仰向けられる。

 「好きだ……」

  そう囁きながら近づく顔を、 朔巳はじっと見つめていた。

  息がかかるほど近づいた顔に思わず目を閉じようとしたとき、 多谷の肩越しに

それが目に入った。

  サイドボードの上に飾られた弘海の写真。

  その顔はじっと二人の行為を見ているようだった。

 「……ダメだっ」

  思わず多谷を突き飛ばす。

 「朔巳?」

  突然の拒絶に多谷は戸惑った表情を浮かべた。

 「だめ……ダメなんだ。 俺、 和春とは……」

  震える手で顔を覆いながら、 朔巳は喉から搾り出すような声で言った。

  朔巳の言葉に、 多谷の表情が強張る。

 「……どういうことだ? さっきお前は俺の言葉を受け入れてくれたんじゃ……」

 「言わないでくれっ!」

  多谷の言葉をさえぎるように朔巳が叫ぶ。

 「ど、 どうか……してた。 びっくりして……どうしたらいいかわからなくて……

だから…………」

 「…………俺が好きじゃないのか?」

  はっとして顔を上げる。

  朔巳を見る多谷の目は先ほどの輝きを失い、 暗く苦痛に満ちていた。

 「か、 ずはる……」

 「俺の、 言葉は迷惑だったか?」

 「あ……」

  違うっ! と心の中で叫ぶ。

  嬉しかった。

  多谷が自分のことを好きになってくれるとは夢にも思っていなかったから、 本当に

嬉しくて嬉しくて、 泣いてしまいそうなほど嬉しかった。

  多谷の腕の中に抱きしめられ、 そのまま死んでしまってもいいくらい幸せだった。

  でも……

  朔巳は何も言えず、 ただ俯いたまま首を振るだけだった。

  心の中で何度も好き、 好き、 と叫ぶ。

  知らず頬を涙が伝う。

 「……そうか……」

  無言のままの朔巳の態度に、 多谷は自分の言葉が拒絶されたのだと思った。

 「そうか……俺の、 勘違い……か。」

  暗い声でつぶやく。

 「やっぱりお前は伊勢が…………」

 「…え?」

  どうして伊勢の名が出てくるのかわからなかった。

 「あいつが……伊勢が好きなんだろう?」

  多谷の思いがけない言葉に、 朔巳は目を見開いた。

 「当たり、か。」

  その表情を誤解して多谷は苦笑いを浮かべた。

 「ち・……っ!」

  違うと言いかけて、 朔巳は口をつぐんだ。

 「ごめん……」

  ただ一言そうつぶやいた。

 「……いいさ。 悪かったな……こんな、 いきなり家まで押し掛けて。」

 「和春………」

  多谷は自分の荷物を手に持つと、 そのまま玄関に向かった。

  朔巳は部屋の中に呆然と立ったまま、 遠くで玄関が閉まる音を聞いた。

  パタン………

  それは、 自分と多谷との繋がりと断ち切る音のように聞こえた。

 「か…ずはる……和春……っ」

  一人残った部屋の中で、 朔巳はその場にくずおれるように座りこむと、

静かに涙を流し続けた。