君が好き

 

21

 

 

 

    かすかにタバコの匂いが漂ってくる。

  その匂いに誘われるように意識が浮上していく。

  ゆっくりと目を開けた朔巳は、 自分の部屋に帰っていることに気がついた。

 「いつの間に……」

  身を起こそうとしたとたんに、 ずきりと頭が痛んだ。

 「……いた……」

  ずきずきと頭の芯に響く。

  完全な二日酔いだった。

  昨夜の記憶が途中から途絶えている。

  どうやって帰ったのだろうかと考えかけた朔巳は、 その時になってようやく

自分を見つめる視線に気付いた。

  見ると、 伊勢が椅子に座ってじっと朔巳を見つめていた。

  手には吸い掛けの煙草がある。

 「……おはよう。」

  伊勢は自分に気付いた朔巳を見て、 やけに静かな口調で言った。

 「……もしかして、 俺お前に送ってもらった? ごめん、 迷惑かけた。」

  見るからにこちらに泊まったのだとわかる。

  朔巳は酔っ払った自分を伊勢が家まで連れて帰ってくれたのだと知って、

申し訳なさそうにそう言うしかなかった。

 「英俊?」

  一言挨拶をしたきり無言で自分を見つめ続ける伊勢に、 朔巳は首をかしげた。

  自分を見る目がいつもとどこか違うような感じがする。

 「どうかしたのか?」

 「……お前、 何してるんだ?」

  突然問いかけられて戸惑う。

 「何って、 何のこと?」

  訳がわからず問い返す。

 「悪いけど勝手にお前のメール見させてもらった。」

 「!」

  その言葉に朔巳の顔色が変わる。

  伊勢はそんな朔巳を見て表情を厳しくした。

 「差出人が ”弘海” ってどういうことだよ。 これ、 お前のメールじゃないのか?

お前、 どういうつもりで多谷とメールしているっ」

 「違うっ!」

  語気荒く問いかける伊勢に朔巳は思わず否定していた。

 「違う……俺じゃない。 メールをしているのは……多谷の相手は、 俺じゃない。

弘海なんだ。」

 「っ! 何を言ってるっ お前だろう、 昨日も一昨日もその前もっ お前が多谷に

メールを送ってるんだろうっ」

  死んでしまっている弟の名を持ち出す朔巳に、 伊勢は冗談を言っているのかと

苛立った声を出した。

 「俺じゃないっ! 弘海だっ」

  いくら問い詰めても首を横に振りつづける。

  伊勢は真剣に否定する朔巳の様子に不自然なものを感じた。

 「……弘海君は……お前の弟はもういないだろう。 2ヶ月前、 バイクにはねられて、

死んでしまっただろう。」

  その言葉に朔巳はふいに無表情になった。

 「朔巳?」

  うつろに空を見る朔巳の様子はどこか変だった。

  思わず朔巳の名を呼ぶ。

 「……弘海は、 弟はここにいる。 死んでなんかいない。」

  伊勢の背筋を冷たいものが走った。

  朔巳はパソコンのカバーを撫でながらつぶやき続けた。

 「死んでない。 こうやって毎晩メールを打ってるじゃないか。 夜になると俺のところに

来て多谷の話をするじゃないか。」

 「朔……巳……」

  呼びかける伊勢の声が震える。

 「朔巳っ! こっちを見ろっ!」

  たまらなくなって強引に朔巳の肩を掴んで自分に向ける。

  朔巳ははっとしたように目をぱちくりさせた。

 「英俊?」

  何事もなかったかように強張った伊勢の顔を見る。

 「朔巳……お前……」

 「英俊、 痛い……肩、 離して……」

  自分の肩を掴む手の力の強さに朔巳は顔をしかめた。

 「弘海君は……死んでしまったんだ。」

  そう教えるようにつぶやく伊勢に、 朔巳は顔色を暗くさせながらも否定しなかった。

 「……何を言ってるんだよ。 英俊。 弘海のことなら言われなくても……」

 「朔巳?」

 「死んでしまった弘海の代りにメールしてるのは俺も悪いことだと思ってるんだ。

でも……弘海の気持ちを考えると、 あいつのこと多谷に忘れて欲しくなくて、 だから

どうしても……」

  伊勢の手に力がこもる。

 「英俊っ 痛いって!」

  顔をゆがめる様子にもかまわず、 伊勢は朔巳の顔をじっと凝視した。

 「英俊?」

  今の朔巳には先程のおかしな様子は見うけられない。

  自分を見つめる伊勢を不思議そうに見ている。

 「朔巳……お前……」

 「だから何だよ。」

  苦笑する朔巳に、 伊勢は言葉を返すことができない。

  ただ体の中に何か冷たいものが広がっていくのを感じた。