君が好き

 

18

 

 

    4限終了のチャイムが鳴ると、 途端教室はざわざわと騒がしくなった。

 「朔巳!」

  出席カードを提出し、 階段教室の後ろから出て行こうとした朔巳は多谷の声が自分の名を

呼ぶのを聞いてどきりとした。

  まだ下の名前を呼ばれることに慣れない。

  見ると、 教室の一番後ろの端で多谷が手を振っていた。

  彼の姿を見て朔巳は首をかしげた。

  確か多谷はこの授業は取っていないはずなのに。

 「どうした?」

  朔巳が不思議に思っていると、 その間に近くまで来た多谷が戸惑う朔巳の表情に気付いた。

 「多谷……この授業取ってたっけ?」

 苗字で呼ばれた多谷はむっと眉をしかめたが、 まずは朔巳の疑問に答えた。

 「潜り込んだ。 こんな教室はそういう時便利だな、 楽に入れる。 お前のところに行こうとしたんだ

けど、 始まるぎりぎりに入ったもんだから行けなくて……お前あんな前に座ってるんだもんな。」

  暗に朔巳に会うために潜り込んだと言われ、 朔巳の頬がかすかに赤くなった。

 「で、 でも今日何か約束してたっけ?」

 「約束がないと会えないのか?」

 「そうじゃないけど……」

  用がないのにわざわざ自分に会いに来た多谷の気持ちがわからない。

 「多谷、 いつも忙しそうなのにどうしてだろうって……」

 「多谷じゃない、 和春、だろう。」

  また苗字で呼ばれ、 多谷も今度はさすがに口を挟んだ。

 「あ……」

  指摘され、 朔巳は恥ずかしそうな顔をする。

  その顔を見て多谷は頬を綻ばせると、 鞄からごそごそと何かを取り出した。

 「ほら、 これお前の読みたがっていた奴。」

  手の上にぱさっと置かれたのは昨日図書館で探していた本だった。

 「友達が持っていたのを思い出してさ、 借りてきた。」

 「そんな、 わざわざ……? それにそのためにこの時間まで……」

 「そうじゃない、 それはついで。 お前、 今日はバイト無い日だろう。 たまには一緒に夕食でも

どうかなって思って。」

  多谷の誘いに朔巳はうんと頷きかけて、 「あ……」 と声をあげた。

 「だめだ、 今日は英俊と約束が……」

 「伊勢と?」

  思わず多谷の顔が渋くなった。

  昨日の親密そうな二人を思い出す。

 「昨日の夜、 電話で誘われてどうしても断れなくて。」

  コンパがあるのだと気乗りなさげに言う朔巳に、 多谷はもう少しで、 それなら行くな、と言いそう

になった。

 「朔巳! ここにいたのか、 探したぞ。」

  その時、 二人の間を割るように伊勢の声が聞こえた。

  伊勢は朔巳の側に駆け寄ろうとして、 その傍らに立つ多谷の姿に目を細めた。

  多谷も鋭い目で伊勢を見る。

 「ごめん、 ちょっと話し込んじゃって……」

  朔巳はそんな二人の様子に気付かないのか、 申し訳なさそうに伊勢に笑いかけた。

 「いいけど……皆待ってるから、 行こうぜ。」

 「う、 うん。 ……じゃあ、 ごめん……か、 和春。 それとありがとうこの本、 すぐに返すから。」

  多谷を気にしながらも、 朔巳は伊勢に引っ張られるようにその場を後にした。







  やられた。

  多谷は二人の後ろ姿を苦々しい思いで見送りながら、 心の中で伊勢を罵倒した。

  こんなに早く伊勢が行動するとは思わなかった。

  自分の考えの甘さに臍を噛む。

  朔巳をずっと見ていたはずのあいつが、 おとなしく自分を朔巳に近づけたままにしている

訳がなかったのだ。

  おそらく伊勢も多谷が朔巳に好意を抱いていることに気付いたのだろう。

  そして先手を打ってきたのだ。

  これからも朔巳の側にはあいつが貼りつくことだろう。

  これ以上自分を朔巳に近づけまいと。

 「そうはいくか。」

  多谷はそうつぶやき、 これからのことに考えをめぐらせた。

  何年も側にいた伊勢よりも朔巳に近い存在になるにはどうすればいいのか。

 「……電話番号くらい聞いておくべきだったな。」

  多谷は自分の迂闊さに舌打ちする。

  また明日まで朔巳に会えない。

  多谷は悶々として過ごすだろう今晩のことを考えて少し憂鬱になった。







  騒々しい店内の様子に、 朔巳は内心うんざりしていた。

  どうしてもこの飲み会の騒がしい雰囲気になじめない。

  あまり酒が飲めないこともその一因だった。

  周りだけが盛りあがっていくのに自分一人冷めていることがその場を居心地悪いものにする。

 「朔巳? どうした、 気分でも悪いのか?」

  いつもならさっさと女の子達の席へと行ってしまう伊勢が、 今日は何故かずっと朔巳の側にいる。

 「ううん、 大丈夫。」

 「そうか? 帰るときは言えよ。 送ってくから。」

 「そんな心配するなよ。 ……英俊、 あっちで女の子がお前のこと見てるよ、 行ったら?」

  しかし伊勢はそちらにちらりと目をやっただけで、 彼女達に興味を示した様子はない。

 「今日はいい、 お前の側にいる。」

 「なんだよ、 変な奴。」

  隣でただ静かに水割りを飲む伊勢に、 朔巳は小さく笑っただけだった。

  どこかうわの空のその様子に、 伊勢はちょっと顔をしかめた。

  朔巳はそんな伊勢にも気付かずぼんやりと手の中のグラスを玩ぶ。

  やはりこんな飲み会来るんじゃなかった。

  少しも楽しくない。

  別れ際の多谷の姿が思い出される。

  せっかく一緒に夕食を食べようと誘ってくれたのに。

  こんなコンパのために断らなければならなかったなんて。

  知らずため息がこぼれる。

  むしょうに多谷に会いたかった。

 「朔巳?」

  隣で伊勢が話しかける。

 「うん……」

  今ごろ多谷は何をしてるんだろう……。

  返事を返しながらも心は多谷のことで一杯だった。