君が好き

 

10

 

   

  コーヒーをすすりながらぼんやりと外を眺めていると、 待っていた人の姿が

目に入った。

  多谷は窓越しに朔巳の姿を認めると、 片手を挙げて合図を送った。

  朔巳もくすぐったい気持ちで手をあげた。

  それから待つ間もなく多谷は朔巳座る席のそばに立っていた。

 「悪い、 待ったか?」

 「いや、 俺もさっき来たばかりだから……」

  そう答える朔巳のコーヒーをチラッと見て多谷は小さく笑った。

  朔巳はそれを見てあわててカップを持ち上げて飲むふりをした。

  底に少ししか残っていないコーヒーはもう冷たくなっている。

  ずっと待っていたことが分かってしまっただろうか。

  前に座る多谷の姿を目で追いながら、 朔巳は必死でなんでもないという

顔を繕おうとした。

 「それで……これ。 栗原教授、 返すのはいつでもいいって言ってたから。」

 「ああ、 サンキュー。 助かった。」

  差し出された本を嬉しそうに受け取る。

  早速ぱらぱらとページをめくる多谷に、 朔巳は思わず訊ねていた。

 「でも珍しいね。 君の勉強している時代とその本の内容違うだろう?」

  朔巳の言葉に多谷はひょいと眉をあげた。

  瞬間しまった、 と思った。

 「よく知ってるな。」

 「……多谷、 有名だから。 2年なのにもう専門勉強してるって……教授の

評判もいいしさ。」

 「ただの使いっ走りだ。」

  そう言って笑うと本を大事そうに鞄にしまった。

  注文を取りに来た女性にコーヒーを頼むと、 多谷はいいか? とタバコを

出してみせた。

  タバコ、 吸うんだ。

  頷きながら、 朔巳は心の中で一つ情報が増えたことを喜んだ。

 「あんたこそ、 まだ2年なのに栗原教授の研究室に出入りしてるじゃないか。」

  一服して多谷はそう言った。

 「俺はただあそこに研究書がたくさんあるって聞いて、 それで教授に頼み

込んで……」

 「ようするにご同類ってことだ。」

  そう笑う多谷が眩しいものに見える。

  朔巳は今多谷の前で笑っている自分の姿が信じられなかった。

  今朝家を出た時には、 こんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

  嬉しさのあまり、 自然に口元に笑みがこぼれる。

  微笑む朔巳を多谷がじっと見ていた。

 「……のか?」

  多谷の問い掛けるような声にはっと我に返る。

 「あ……ごめん、 何?」

  自分の思いに入りこんでいて聞いていなかった。

  申し訳なさそうに言う朔巳を多谷は面白そうに見ていた。

 「いや、 無口だな、 あんたって。 いつもそうなのか?」

  からかうように言われて頬が赤くなるのを感じた。

 「……ごめん、 あんまり話すの得意じゃなくて……」

  最後は声が小さくなる。

 「気にするな。 俺の周りはよくしゃべるやつばかりだから、 ちょっと新鮮

に感じただけだ。」

 何気ない多谷の言葉に、 ますます朔巳は居たたまれなくなる。

  多谷の周りにいつもいるのは、 大学の中でも人一倍目立つ人ばかりだった。

  きっと自分のような地味な人間は多谷の目には面白みのない存在にしか

見えないだろう。

  そう思うと多谷の前に座っていることが恥ずかしくなり、 思わずがたんと

立ちあがっていた。

 「河野?」

  さすがに多谷が驚いた顔をする。

 「ごっごめん。 俺、 用事あるの忘れてた……ごめん、 行かなきゃ……」

 「待てよ。」

  あわてて財布を取り出してコーヒー代を出そうとした朔巳の手を多谷が

押しとどめる。

 「ここは俺が出すよ、 本の礼だ。」

 「そんな……俺、 そんなたいしたこと……」

  とんでもないと首を振る朔巳を、 多谷はおかしそうに見た。

 「やっぱりあんたって新鮮。 コーヒー一杯でそんな反応するやつなんて初めて。

他のやつらだったらもっと高いものタカってるぜ。」

 「でも、 俺君の友達ってわけじゃないし……」

 「もう友達だろう? ほらこうやって一緒にコーヒー飲んだしさ。」

  そう笑う多谷を朔巳は信じられないものを見るような目で見た。

  友達?

  多谷がそう言った。

  黙る朔巳に勘違いしたのか、 多谷は眉をひそめた。

 「あ、 もしかして馴れ馴れし過ぎたか? こんなことで友達呼ばわりするの、

軽すぎるか?」

  朔巳はそれを聞いてあわてて首を横に振った。

 「そんなこと……」

 「じゃあ、 そういうことで。 ここは俺の奢りな。」

  レシートをぴらぴらと振る多谷を、 朔巳はただぼうっと見ていた。