Spicy Bombe




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 貢はちらりと部屋の一方向を見て、そっとため息をついた。

 まだだめか・・・・・・。

 いつもはそれなりに明るい放課後の調理室。 しかしこの一週間はおいしい料理を作る空間とはとても言えない空気が

漂っていた。

 原因は淳平だ。

 何があったのか、一週間ほど前から突然淳平の機嫌がとてつもなく悪くなったのだ。それも最悪最凶の悪さだ。

 一体何があったというのか。

 思いながら、貢はある程度の想像はついていた。 おそらく、というか絶対に淳平が今一番手を焼いている存在が、

不機嫌の原因だろう。 おそらくまた料理に何かケチをつけられたのだろう。 自分の腕前に絶対の自信を持つ淳平に

とって、料理に難癖を付けられるのは一番我慢ならないことだからだ。

 しかし、と首を傾げる。

 それだけなら、今までも同じだったはずだ。 何せ相手は食べられる食材を数えた方が早いのではないかというくらい

ひどい偏食の持ち主だ。 淳平が腕によりをかけた自信作に手をつけない、めちゃめちゃに食い散らかす、難癖をつける、

なんていうことは毎日のことだった。 その我儘ぶりは、次の日の淳平の機嫌の悪さからも容易に想像できた。

 が、それでもその不機嫌さは、まだまだ貢や健太が話しかけられる程度のものだった。

 しかし今回は今までに無いほどひどい。話しかけるどころか、声をかけることすら躊躇われる。下手に近寄ると

何か危ない目に合いそうな、そんな怖い空気が彼の周りに漂っているようだった。健太などは、あまりの怖さに貢から決して

離れようとしない。彼の影から恐る恐る淳平の様子を窺っている始末だ。・・・・・・・それでも毎日、放課後になると貢の

料理を目当てに必ずこの調理室に来るのだから、彼の食い意地もなかなか強い。

 今も貢にぺったりくっつきながら、淳平の様子をこわごわと窺っている。が、その手には、先程焼いたばかりのマドレーヌが

しっかりと握られているのだ。

「健太君、美味しいかい?」

 笑顔で聞いてみると、健太は貢を見上げてこくんと頷く。

「美味しい。とっても美味しいけど・・・でも・・・・・・」

 お菓子を持ったまま、うるうると涙目になる。

「健太君? どうしたんだい?」

 最愛の恋人の突然の悲しそうな様子に、貢も眉を顰める。 

 何か失敗しただろうか。 いや、でも彼は美味しいと言ってくれている。なら・・・・・・。

「どうしたんだい? お腹でも痛い?」

 食べ過ぎてお腹でも壊したんだろうか。

 しかし健太はふるふると首を振って、縋るような目で貢を見上げた。

「あの・・・あのね・・・」

「うん?」

 何か言いたそうな彼の様子に、貢の顔も真剣になる。

「あのね・・・・・・」

 なおもお菓子を握り締めたまま、健太は何度も何度も口を開いては閉じ、何か逡巡しているようだ。

「健太君? 何か言いたいことがあるんだろう? 言ってごらん」

 優しく先を促すが、なおも健太はどうしようと悩んでいるようだった。

「あの・・・あのね・・・・・・」

「うん」

「だから・・・・・・あの・・・・・・」

 ちらちらと淳平の方を伺いながら、何度も言いよどむ。

 その様子に、淳平のことだと察する。

「もしかして、淳平のことかい? ごめんね。 いつまでもあんな不機嫌な顔で。 でも気にしなくていいよ。

放って置けばいずれ収まるから」

 小学校から親友として付き合ってきた貢は、誰よりも淳平の性格を知っている。 短気で怒りっぽいが決していつまでも

怒りを持ち続けているようなしつこい性格ではないし、根に持つような後ろ向きの性格のタイプでもない。 確かに今回は

いつになくしつこく怒り続けているようだが、しかしそれももうしばらくのことだろう。 そのうちけろりとして、またあの杵築という

男の偏食を治そうと奮起するに違いない。

「本当に気にしないで。無視していればいいから」

 恋人の気分を解そうと、貢は優しく笑った。

 が、健太が言いたかったのはそのことではなかった。

「違うの。そうじゃなくて・・・・・・あのね・・・・・・」

 貢の慰めに、やっと思い切りがついたのか、健太は涙を浮かべた目で必死に訴えた。



「あのね。淳平先輩のお料理、僕もう食べられないの。 食べるの、怖いの」