Spicy Bombe




17








 玄関の扉が閉まる音を聞きながら、淳平は一連の出来事にまるで他人事のような態度を取り続けていた元凶を

じろっと睨みつけた。

 が、杵築は素知らぬ顔でソファにに腰掛けた。

「・・・腹減ったな。飯はいつできる?」

 その平然とした口調に、淳平の方がムッとする。

 一体この男は何を考えているのか。 さっきの今で腹が減った、だと? まるで何事もなかったかのような男の態度が

何故が癇に障る。 目を向けると否応なしに見える男の乱れた格好もそれに拍車をかけた。

「あんたって、本当に最低だな」

 ムカムカとした気分のまま、吐き捨てるように言う。

 しかし杵築はひょいと眉を上げただけだった。

「何のことだ? それよりも飯はいつになるんだ? それとも今日は無しなのか?」

「作るに決まっているだろうっ」

 せっかく材料を買ってるんだから無駄にするわけにはいかない。

 が、ふとテーブルに放置されたままの例の料理が目に入った。

「・・・・・・それともこの飯、食ってもいいんだぜ」

 少しの意地悪な気持ちがそんな言葉を口にさせた。

「せっかくあんたのために作ってくれたっていうんだからさ。 少々まずくっても食ってやるのが礼儀ってもんじゃない?」

 恵理の前ではああ言ったものの、去り際の彼女の後姿がなんだか哀れに思えてしまったのだ。

 まあ、こんな男の外面に騙されるのが馬鹿なんだけどな。

 先程までのことなどすっかり忘れたように、ソファにふんぞり返って新聞を広げている杵築の姿がまた淳平の怒りを誘う。

「彼女にしてもさあ、あんたのために一生懸命作ったんじゃないの。たぶん、家じゃあ包丁なんて滅多に持たないって感じだし」

 この男のために料理の本を見て勉強したのだろう。 家で何度か練習もしたかもしれない。 そう思うと、テーブルの上の料理

をさっさと片付けてしまうのがなんだか可哀相になった。

「一口だけでもさ。食べてやったら?」

 しかし淳平の心遣いが、この天下無敵の我儘男に通じるはずがなかった。

「この俺に食えっていうのか? お前さっきなんて言った? 油ぎとぎとコレステロールの塊、魚臭くてボロボロの料理?

聞くだけで体に悪そうなものばかりじゃないか。そんなものを俺に食えって?」

 杵築はあからさまに驚いたような表情をして言った。

「俺に死ねって言うのか?」

 そう空々しくため息をつく。

「てめえには情けってもんがないのかっ」

 男の態度に淳平もカッとなって怒鳴った。

「大体てめえみたいな奴がこんな料理で死ぬもんか! 俺が来るまでめちゃくちゃな食生活していたくせに」

「めちゃくちゃとは心外だ。俺は一応食べられるものしか口にしていないぞ。これでも口は肥えている方だと自負しているからな。

俺の口は一流のものしか受け付けないんだ」

「何が一流だ。 野菜も食えねえお子様味覚のくせして。 てめえのはただの我儘だっ! この大大っ偏食変態男!!」

「やれやれ。 お前のお粗末な語彙力もついに尽きたか。言うに事欠いてこの俺を変態呼ばわりするとはね」

「うるせえっ てめえなんて変態で十分だ。 この変態エロエロ親父!」

「エロ・・・・・・下品な奴だな」」

 淳平の罵倒に杵築はため息をつきながら首を振ると、新聞を畳んで立ち上がり、淳平の方へと歩いてきた。

「な、なんだよ・・・・・・」

 黙ったまま近寄ってくる杵築の姿に、淳平は先程までの威勢も忘れ、思わず後ずさりした。

 そんな淳平に、杵築はにやりと笑った。

「エロ親父か。 こんなことくらいでそんな言葉が出るところを見ると、さてはお前まだ童貞だろう」

「!!!」

 杵築の言葉に、淳平の顔が一瞬のうちに真っ赤になった。
 
 その顔を見てますます杵築は笑みを深めた。

「女と付き合ったこともないのか? もしかしてキスもまだだとか?」

「キキキスくらいはあるっ!・・・・・・あ・・・っ」

 言ってしまって、あ、と口を塞ぐ。

 これでは自分が童貞だと肯定しているも同然だった。

「へえ、キスは、ね」

 案の定、杵築はそこを突付いてきた。

「いつもいつもキャンキャンよく吼える犬だと思ったら、犬は犬でも子犬だったか。それは悪かったな。 お子様には

さっきの場面は目の毒だったというわけだ。 どうりでいつもより噛み付いてくると思ったよ」

「なっ なっ・・・・・・」

「まだ情操教育には早かったかな? それとももう遅いか。 お前、今いくつだっけ? 俺がお前の年にはもうとっくに女を

知っていたはずだがな。 それともお前がどこか悪いのか?」

「うっ うるせえっ! 余計なお世話だ!」

 料理の話をしていたはずなのに、いつのまに自分の性生活の話になったのか。

 わからぬまま淳平はうろたえ混乱する頭で喚いた。

「てってってってめえなんて、このクソ料理食って食中毒起こして死んじまえっ! このセクハラエロ親父っ!!!」

 そう叫んで、テーブルの上の皿を掴み、男に向かって投げた。

「っ うわっ!」

 さすがの杵築もそれは予想していなかったのか、咄嗟に避けることができず、頭から料理を被ってしまった。

「・・・っ!」

「いっぺん死にやがれ! この変態冷血クソ親父っ!」

 最後に言い捨てると、淳平はそのまま部屋を飛び出していった。

 後には油だらけの料理に全身がドロドロになった杵築だけが残された。

 そして、そのまま淳平が部屋に戻ることはなかった。

 もちろん、その日の夕飯はなし、だった。