夜の扉を開いて

 

 

 

    「君、 見ない顔だね。 この会に参加するの初めて?」

  テーブルの上にあるビール瓶を取ろうとした藤見は、 その声に隣に顔を向けた。

  思ったより近い位置にある顔に驚いて身を固くした。

 「あ……はい。」

  慌てて身を正して頭を下げる。

 「楽にしなよ。 こんなところでかしこまられても俺の方が困るよ。」

  そう言って男はぐるりと周りを見た。

  場のあちらこちらで、 もうしたたかに酒を飲んで酔っ払った人達が大きな声で店員を

呼んだり近くの女の子にちょっかいをかけたりしている。

  畳の上に転がって眠ってしまっている者までいた。

  確かにこんな飲み会の席で、 しかも宴もたけなわといった時にしゃちこばっていても

おかしなだけだ。

  しかし、 藤見はだからといってすぐに緊張を解くことはできなかった。

  今目の前にいるのは、 自分がずっと恋焦がれていた瀬名生だったからだ。

  その彼に間近で微笑まれて、 頭に血が上ったようにぼうっとしてしまう。

  藤見の赤くなった顔に興味を引かれたのか、 瀬名生はさらに顔を近づけてきた。

 「へえ、 君可愛い顔してるね。 そこらの女よりずっといい。」

 「え……」

  囁くように言われた言葉の意味を理解して、 藤見はさらに顔を真っ赤にした。

 「こんなことで赤くなってんの。 性格まで可愛いんだな。」

  瀬名生は恥ずかしがる藤見を気に入ったのか、 その後飲み会が終わるまで

ずっと藤見の側にいた。

  あれこれと話しかけては自分に微笑む瀬名生に、 藤見はもう夢見ごこちの気分

だった。

 「二人でもう一回飲み直さない? 俺、 もう少し君と話がしたいな。」

  店を出て、 2次会だと騒ぐ他の連中を尻目に、 瀬名生は藤見にそう誘いかけてきた。

  藤見に否はない。

  そして、 彼に誘われるまま一人暮しだという彼のマンションについていった。

  彼の部屋で出されたビールを飲みながらとりとめのない話をしていると、 ふいに

瀬名生が藤見の肩を抱き寄せるようにして耳元で囁いた。

 「ほんと、 君ってその辺の女よりよっぽど可愛いよな。 性格もすっごく俺好みだし。

俺、 君のこと好きになったみたい。 なあ、 俺と付き合わない?」

  そう言いながら藤見の腰に手をやり、 自分の方へと引き寄せる。

 「せ、 瀬名生先輩?」

 「好きだよ。」

  あまりに突然のことでどうしていいのか分からずうろたえる藤見に、 瀬名生が顔を

近づけてくる。

  あ、 と思う間もなく、 唇を塞がれていた。

  熱く口付けられ、 藤見はぼうっとしてしまう。

  自分の身に起こったことが信じられなかった。

  好きだった相手から好きだと言われたのだ。

 「可愛いな……初めて?」

  キスに応える術すら知らない様子に、 瀬名生は嬉しそうな顔をした。

  赤くなった頬がその言葉を肯定している。

 「俺が初めてなんだ、 嬉しいよ。」

  瀬名生はそう言うとまたキスを繰り返す。

  何度も何度も深く浅く口付けられるうちに、 頭の芯がぼうっとしびれたようになってきた。

 「先輩……」

  うっとりとつぶやく自分の声が聞こえる。

  いつの間にか側のベッドに押し倒されていることにすら気付かなかった。

  マットレス状の段差のほとんど無いベッドは、 床に座っていた藤見がそのまま体を

倒してもほとんど段差を感じない。

  自分がベッドに横たわっていることに気付いたのは、 キスを繰り返していた瀬名生が

シャツの裾から手を潜り込ませてきたときだった。

 「せっ先輩……っ」

  うろたえて手を遮ろうとする。

  が、 覆い被さってきた体にその身をベッドに釘付けにされる。

 「いいだろう? 好きなんだ、 ほんとに。」

  耳元で甘く熱く囁かれる言葉に抵抗する意思が無くなっていく。

  そのまま、 藤見は瀬名生に身をまかせてしまった。







  あのときの痛みを思い出し、 藤見はかすかに顔をゆがめた。

  瀬名生は痛みに泣きじゃくる自分に強引なほどの手で身体を奪っていった。

  ほとんど一方的だったとも言える。

  それでも好きな人に抱かれた自分は、 嬉しさに必死にその身を与えたのだ。

  男の言葉が偽りだったとも知らずに……。







  翌日、 どうしても抜けられない授業がある為、 まだ眠る瀬名生を残したまま藤見は

そっとマンションを出た。

  痛む体をおしていったん家へと戻り、 大学に行った藤見が見たのは信じられない

光景だった。

  瀬名生が綺麗な女性と楽しそうに腕を組んで歩いている姿だった。

  呆然とする藤見に隣にいた友人が教えてくれた。

 「とうとうあの二人、 付き合うらしいよ。 前々から噂はあったんだけどさ。 彼女の方、

ずっと瀬名生先輩狙っていたから。」

  何も知らない友人の言葉に心のどこかが壊れるのを感じた。

  昨夜の名残の痛みがふいにひどくなり、 体中がずきずきと痛み出す。

  彼女と手を振って別れた瀬名生がこちらに向かってくる。

  藤見はその姿をじっと見つめていた。

  何か言ってくれるだろうか。

  昨夜のことは嘘じゃないと、 彼女とは何でもないと。

  そう言ってくれるのだろうか。

  願うような気持ちで彼が近づいてくるのを待つ。

  が……

  そんな藤見をまるで知らない人間を見るかのような目でちらりと見ると、 瀬名生は

そのまま藤見の隣を通りすぎていった。

  そして、 藤見の心は固く凍りついたのだった。







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