夜の扉を開いて

 

29

 

 

 

    床にうずくまって悲しみに沈みこんでいた藤見は、 自分に近寄る気配に気付かなかった。

  そっと肩に手を置かれて、 はっと顔を上げる。

  そこには帰ったはずの瀬名生の姿があった。

 「……どうして………」

  信じられない思いで目の前の男を呆然と見上げる。

  そんな藤見に、 瀬名生は目に言い知れぬ色を湛えながら静かに言った。

 「………言い忘れた言葉が……どうしても言いたい言葉があった」











  扉を開いて出て行こうとした瀬名生は、 しかしどうしても部屋を出ることができなかった。

  このまま帰ってしまったら取り返しのつかないことになる。

  そんな焦燥感が瀬名生を苛んだ。

  もうすでに取り返しはつかないというのに、 藤見を傷つけた自分にもうチャンスはないと

いうのに。

  そう思いながらも、 部屋を出ることが出来ない。

  ドアのノブを掴む手に汗が滲んだ。

  何か………何か大切な事を忘れている気がした。

  藤見に伝えなければならない大切な事が。

  はっと気付く。

 ” 藤見、 ずっと先輩に憧れていたんですよ ”

  斎藤の声が耳に響いた。

  俺は…………っ

  瀬名生は踵を返すと、 たった今出たばかりの部屋へと戻った。











 「言い……忘れた………?」

  涙に濡れた顔でぼんやりと瀬名生を見る藤見は、 目の前にいる男が現実のものとは

思えなかった。

  彼が戻ってくるとは思っていなかったのだ。

  そんな藤見の無防備な姿に瀬名生は胸が突かれる思いだった。

  今の藤見は先程の彼とは違っていた、 今までの彼とも…

  これが本当の藤見なのだ。

  こうやって一人でどれだけ涙を流したのだろう。

  誰に知られることもなく、 誰に相談することも出来ず…………

  自分が彼を悲しませ、 苦しませたのだ。

  藤見に対して慙愧の念で一杯になる。

  そして迷いが生まれた。

  果たして自分は今から言おうとしている言葉を口にしていいのだろうか、と。

  彼を散々苦しめた自分にそんな権利がないことはわかっている。

  それでもどうしても告げたくて、 言わなければならないような気がして戻ってきた。

  自分の今の本当の気持ちを伝えることがどうしても必要に思えたのだ。

  瀬名生は自分に向けられる涙に濡れた不安に満ちた瞳をじっと見つめた。

  愛しい。

  そんな感情が心に満ちていく。

  彼が、 藤見が愛しくて愛しくて仕方がなかった。

  いつのまにこんなに彼に惹かれてしまったのかわからない。

  ただ、 今の自分の心には彼を愛しいという想いしかなかった。

  なじられても罵倒されても、 嘲られてもいい。

  彼に自分の想いを伝えたい、 伝えなければと思った。

  だから、 思いのままに口を開いた。

 「………君を、 愛している」









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