夜の扉を開いて

 

28

 

 

 

    出て行こうとする瀬名生の気配を背に感じる。

  今にも嗚咽が喉からもれそうだった。

  視界がぐるぐると回る。

  震える体に力が入らず、 今にもその場にくずおれそうになりながら、 藤見は必死に自分を保とう

としていた。

 ” 悪かった ”

  男が出て行く間際につぶやいた言葉が耳の中で響く。

  悪かった、 と、 自分の非を認めたのだ、 瀬名生は。

  ……………………でもあの夜のことを思い出したわけではない。

  藤見は暗い気持ちでそう考えた。

  あの7年経っても自分の中から少しも色褪せない時間が、 狂おしいほどに自分を抱いたあの

情熱の時が、 彼の中には欠片も残っていないのだ。

 ” ……好きだよ ”

  そう耳元で何度も熱く囁かれた声が自分の中では今もはっきりと甦るというのに。

 ” お前なんだろう? あの時…… ”

  確かめるように問いかけられた言葉。

  瀬名生は少しも思い出していない。

  どうして彼が自分を抱いたのか、 ………………どうして自分が彼に体を委ねたのか。

  胸が痛い。

  痛くて苦しくてたまらない。

  嫌なのに………もうこんな苦しい思いをするのはたくさんなのに……!

  それなのに今も自分の心が彼を求めているのがわかる。

  心の中で彼の名を呼んでいる。

  思い出してくれと…………!

  パタン…………

  じっと立ち尽くす藤見の耳に、 玄関の扉が静かに閉まる音が聞こえた。

  目の前が暗くなる。

  …………彼は帰ってしまったのだ。

 「………うっ…うっ……っ」

  誰もいなくなった部屋の中で、 藤見はとうとうその場にくずおれてしまった。

  膝をついた床に頬を伝う涙がぽとぽとと流れ落ちる。

  好きなのに………!

  心の中でそう叫ぶ。

  今もこんなに彼が好きなのに………

  彼の心の中に自分がいないことがこんなに悲しい、 苦しい。

  あの夜の自分が存在しないことが辛い。

  今夜ここに来たのも、 罪悪感に苛まれただけ。

  そう彼の顔には書いてあった。

  忘れてしまったことに対しての申し訳なさと気まずさ。

  そんなものはいらなかった。

  ただあの夜のことを思い出して欲しかっただけなのに………

  藤見の中でずっと抑えこんでいた感情が爆発する。

 「うっ……ううっ……!」

  涙が次から次へと止めどなく流れ落ちていく。

  本当は、 憎んでなどいなかったのだ。

  ただ忘れられた自分が悲しくて辛くてどうしようもなかった。

  何事もなかったかのように自分の前に現れた彼に、 自分のことを思い出して欲しかった。

  そしてあの夜のように微笑んで囁いて欲しかったのだ。

  好きだ、 と。

  しかし瀬名生はただ謝罪の言葉しか口にしなかった。

  そこには愛情は何も感じられなかった。

  藤見の心に絶望が走る。

  彼の心は今も昔も自分にはないのだと。

  藤見は床にくずおれたまま、 嗚咽を漏らし続けた。









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