夜の扉を開いて
21
一度藤見の優しさに触れた瀬名生は、
それまで見えなかった彼の一面が見えるように なった。 誰も見ていないところでさりげなく看護婦のフォローをする藤見。 年老いた患者の愚痴に根気強く耳を傾ける様子や、 入院生活に退屈した子供の わがままに辛抱強く優しく諭す様子が自然と目にはいる。 それまで自分以外の人間にはそれほど冷淡ではないとは知っていたが、 しかし それでも丁寧に礼儀正しく対応しているだけで、 そこに温かい感情が存在するとは 思っていなかった。 だが、目に入る光景は藤見の隠し持つ優しさを知らず表わしていた。 自分に対して冷淡にしか思えなかった態度もよくよく注意して見ると、 それだけでは ないことに気付く。 自分と話している時の彼は決して自分の目を見ようとはしなかったが、 全てを拒否して いるわけではない。 ちゃんと話に耳を傾けていることはその後の彼から返ってくる言葉でわかる。 仕事以外では自分を完全に無視しているように見えても、 その身体が微妙に緊張 していることで、 決して存在自体を無視しているわけではないと気付いた。 瀬名生の藤見を見る目が変わっていく。 そしてそれはふと目ににした光景によって大きく変わったのだ。
向こうに立つ藤見の姿に気付いた。 知らず足が止まる。 彼は誰かと話しているようだった。 目を向けると、 どうやら退院する患者のようだった。 若い夫婦らしき男女と母親であろう女性に手を引かれた小さな女の子。 彼らと話していた藤見はおもむろに屈みこむと、 女の子と視線を合わせて何やら話し かけた。 女の子が恥ずかしそうにしながら、 それでも嬉しそうに藤見に話している。 突然その小さな腕を伸ばして藤見の首に抱きつく。 頬にキスされ驚く藤見。 女の子は彼に抱きついたまま何やら囁く。 その時浮かんだ藤見の表情に、 瀬名生は目を奪われた。 一瞬大きく目を見開き、 そしてその後ふんわりと優しく微笑んだのだ。 まるで清らかな花のように澄んだ笑みだった。 昼食を取ろうとしていたことも忘れて、 瀬名生はただ呆然とその場に立ちすくんでいた。 瀬名生が自分を見ていることにも気付かず、 藤見は女の子と両親に手を振って彼らが 立ち去るのを見送ると、 そのまま通用口から中へと消えていった。 彼の姿が完全に消えて、 やっと瀬名生は我に返った。 自分が立っている場所を見て、 食堂へ行く途中だったことを思い出す。 再び歩き出した瀬名生だが、 しかし脳裏には今見たばかりの藤見の笑顔が深く 刻み込まれていた。 あんな綺麗な笑みをするとは知らなかった。 温かい優しさに溢れていた。 いや…… 初めてじゃない。 一度だけあの笑顔を見たことを思い出す。 それまで後ろへの挿入に苦痛しか見せなかった藤見が初めて快感を覚えた夜。 行為の後、 気を失う直前に名を呼ぶ瀬名生の声にかすかに笑って見せた顔が 先ほどの笑顔と重なる。 藤見自身はあの時のことを覚えていないようだったが…… 再びかい間見た笑顔に瀬名生の心が急速に彼へと傾いていく。 初めて彼のことが知りたいと思った。 何故こんなに自分が嫌われるのか。 何故あの優しい笑みを、 心を閉じ込めてしまっているのか。 何故……… 知りたい。 藤見のことが知りたい。 何故こんなにも彼のことが気になるのかわからないが、 強くそう思う。 瀬名生は食堂に向かう足を速めながら、 次に藤見に会う時のことを考えていた。
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