夜の扉を開いて

 

20

 

 

 

    自分の部屋に帰った藤見は、 靴を脱いだ途端にどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。

  全身が水を含んだ綿のように重くだるい。

  そのままベッドに倒れこみたくなるのを抑え、 ざっとシャワーを浴びる。

  あの慌ただしい時間の中での汚れや汗を流さないで寝ることには抵抗があったのだ。

  前髪から水滴が落ちるのを鬱陶しそうにタオルで拭いながら冷蔵庫からミネラルウォーターを

取り出し、 ソファに座りこむ。

  ちらりと時計を見ると8時前だった。

  今からだと2、3時間しか眠れない。

  それでも少しでも身体を休めないことには昼からの仕事に差し障る。

  藤見はだるそうに身体を起こすとベッドに向かった。

  しかしベッドに入ってもなかなか睡魔はやってこなかった。

  まだ現場の興奮が残っているのだろうか。

  ため息をつきながら寝返りを打つ。

  途端、 じくりと身体の奥にかすかな違和感を感じた。

  それとともにその後の慌ただしさに忘れていた瀬名生との事を思い出す。

  一度思い出すと、 次から次へとあの時の記憶が甦ってくる。

  あれほど乱れたのは初めてだった。

  気が狂いそうなほど瀬名生が欲しくて、 自ら彼のものを口にしたのだ。

  口の中にあの時の感触が甦りそうになる。

  自分のした行為が信じられない。

  あんなことは嘘だ………

  ベッドの中でぎゅっと自分の身体を抱きしめる。

  あんな………彼のものを欲しがる自分なんて……媚びるように彼を見上げた自分なんて……

  彼に貫いて欲しくて必死に愛撫を施した。

  自分の口の中でびくびくと跳ねながら次第に逞しくなっていった彼のものに、自分の身体は

期待に熱く疼いたのだ。

 「嘘だ………」

  そうつぶやく。

  しかしその言葉には力がなかった。

  あの時自分は確かに彼が欲しくて欲しくてたまらなかったのだから。

  やっと入ってきた彼に安堵さえした。

  そしてその後の激しい攻めに息も絶え絶えになりながらも進んで応えたのだ。

 「嘘だ………あんな……」

  つぶやきながらも、 脳裏に浮かぶのは自分の上で動く瀬名生の姿だった。

  藤見を見下ろし、 顔を快感にゆがめながら動く彼。

  その額から流れる汗さえもはっきりと思い出せる。

  そして彼が動くたびに身の内に快感の嵐が吹き荒れた。

  身体の奥がずくりと疼く。

  あの時の快感が身体の中に甦る。

  身体のあちらこちらに瀬名生の存在が刻まれてしまっているようだ。

  「嘘だ……嫌だ……こんな……嫌だ………」

  忘れようとしても忘れられない。

  こんなにも瀬名生は自分の中に深く入り込んでしまっている。

  藤見は背けていた現実にやっと目を向けた。

  どんなに月日が経っても、忘れようとしても憎もうとしても、結局自分は彼を忘れられ

なかったのだ。

  あの、 瀬名生の中では消えてしまっている夜が7年間藤見を縛り付けていた。

  苦しい………

  彼の中で消えてしまった自分が悲しかった。

  あの時から自分の中で凍り付いてしまった感情が、瀬名生と会って溶け出し始めている

のを感じる。

  彼に抱かれ続け、 あの熱い体温をこの身に感じて揺れる自分がいる。

  それでも………

 「もう、 これ以上………」

  傷つきたくない。

  もうあんな苦しい思いはたくさんだった。

  他の女性と付き合う彼を見せつけられ、 幸せの絶頂から叩き落とされた時の絶望感。

  彼に問いたくても、 あのまるで知らない人間を見るような冷たく無表情な目を向けられ、

話しかけることさえできなかった。

  ただ背中を見送ることしかできなかった時の惨めさ。

  もうあんな思いはしない。

  彼に心を開くようなバカな真似はしない。

  たとえこの先どんなに熱く抱かれようとも………

  藤見は疼き続ける身体を抱えたまま、 そう心の中に固く誓った。








      
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