夜の扉を開いて

 

14

 

 

 

    パタンとドアの閉じる音に藤見は反射的に身を強張らせた。

  平日にこの部屋に来るのは初めてだ。

  しかしここに来るたびに繰り広げられる淫蕩な時間を思いだし、 藤見は居たたまれない

気分になった。

  瀬名生はそんな藤見にお構いなくさっさと部屋の中に入っていく。

 「どうした、 上がれよ」

  玄関先で立ち尽くす藤見に気付くと中へと促がす。

  仕方なく靴を脱ぐ。

  のろのろと部屋に上がる藤見を見ると、 瀬名生はリビングへと入っていった。

  鞄を床に置き、 上着をソファに放り投げる。

 「何か飲むか?」

  冷蔵庫を開け中を物色しながら問いかけるが、 藤見の返事を待つまでもなく、

ビールの缶を二本取り出すと一本を藤見に手渡した。

  目の前に出されたそれに反射的に手を出すが、 戸惑ったように見るだけで飲もうとは

しなかった。

 「コーヒーの方がいいか?」

 「………いいえ……ただ、 呼び出しがかかったら……」

  完全な休日ではなく、 何かあればすぐに呼び出しがかかる待機の時にアルコールを

飲むことにためらう。

  瀬名生はそんな藤見にため息をつくと、 やかんに水を入れて火にかけた。

 「座ってろ。 ………コーヒーで……いや、 お茶の方がいいか」

  そう言いながら急須を取り出す。

  さっさと準備をする瀬名生に口を挟むことも出来ず、 藤見は結局黙ってソファに

座りこんだ。

  緊張した面持ちで身を固くしたまま、 ただじっと座る。

  それを横目でちらりと見ると、 瀬名生は食事の仕度に取りかかった。

  









  程なくして、 出汁のいい匂いが漂い出した。

  トントンと何かを刻む瀬名生の後姿に、 藤見は不思議な気分になった。

  瀬名生が自炊する姿など想像もしていなかったのだ。

  大学の頃から瀬名生の周りには女の姿が絶えなかった。

  いつも颯爽とキャンパスを歩いていた彼は洒落たカフェやレストランを使うイメージがあった。

  それは今も変わっていない。

  そんな彼が自炊しているとは思ってもみなかった。

  しかし慣れた手つきで包丁を使う姿は自炊が長いことを示している。

 「ほら、 こっちへ来い」

  瀬名生は土鍋を両手に持ってダイニングテーブルに置いた。

  ふたを開けると雑炊が湯気を立てていた。

  とろりとした卵が見るからにおいしそうだ。

  調理の合間に手渡された湯のみを持ったまま、 藤見は驚いたようにテーブルの上を

眺めた。

  促がされるまま食卓につき、 雑炊を取り分けたお碗を手にとる。

  おそるおそる口をつけて、 また驚いた。

 「………美味しい…」

  鳥の出汁が効いた雑炊は、 温かくとても美味しかった。

  疲れて食欲のなかった藤見でもさらりと食べることができた。

 「………知りませんでした。 料理が出来るなんて」

 「外食ばかりだと体に悪いからな。 それに飽きる。」

  食後のお茶を飲みながらぽつりとつぶやいた言葉を聞いて瀬名生がああ、と答えた。

  藤見はじっと湯のみのお茶を見つめながら心の中の動揺を隠した。

  こんなに穏やかな瀬名生は知らない。

  部屋に連れてこられた時点で、 藤見はまた昨日のように抱かれるのだと覚悟していた。

  食事を、 という言葉を信じていなかった。

  瀬名生との間にはSEXしか存在していなかったから。

  あの仮眠室での事からずっと、 瀬名生は藤見をただの性処理の相手としか見なくなった。

  自分のプライドを傷つけた藤見をまるで罰するかのようにただ抱き続けた。

  藤見も瀬名生に抱かれるときは何も考えないようにしていた。

  それ以外に何かが生まれることを恐れてもいた。

  なのに………

  「………ご馳走様でした。 とても美味しかったです。 ………すみませんが、

もう帰らせていただいてよろしいですか? 早く休みたいので……」

  穏やかな空気に耐えられなくなって、藤見はがたんと席を立った。

  これ以上ここにいると、 自分の中に封じ込めた何かが出てきてしまいそうだった。

  そろりと心の中に沸き起こったかすかな何かが怖かった。

  瀬名生の側にいてはいけない。

  やみくもにそう思う。

 「おい」

  呼びかける声を無視して鞄を取り上げ、 玄関に向かおうとする。

 「おいっ 待てって」

 「離してくださいっ」

  引きとめようとする瀬名生に腕を掴まれ、 とっさに振り払う。

 「この………っ」

  かっと頭に血が上り、 力づくで引き寄せようとした瀬名生は、 藤見の表情を見て

振り上げた手を止めた。

  こちらを見る藤見の目は何かに怯えているようだった。

  怯えてる? 何に?

  瀬名生の動きが一瞬止まった隙に、 藤見はさっと身を翻すと止める間もなく

玄関を飛び出していった。

  音を立てて閉まるドアを見ながら瀬名生は眉をひそめてじっと立っていた。

  あの怯え方が気にかかる。

  自分に抱かれるたびに、 藤見はいつも最初怯えた表情を見せる。

  だがさっきのはそれとは違うように思えた。

  もっと奥深いもの………

  何に怯えている?

  考えても見当もつかない。

  いつも冷たい態度をとる藤見。

  その彼が見せたあの怯え。

  ふと、 考える。

  何かあるのだろうか。

  藤見が自分に対するあの態度に、 自分の知らない何かが。

  今まで藤見に対して憤るばかりでその理由を考えていなかった。

  理由?

  だがそこでまた眉をしかめる。

  今の病院に移って初めて会った藤見との間にどんな理由が存在するというのだ。

  気のせいか、 と思う。

  多分、 気のせいなのだろう。

  彼はただ自分を気に入らないのだ。

  瀬名生は心の中に浮かんだ疑問を振り払った。

  気に入らないからあんなに冷たいのだ。

  そしてその態度に苛立って自分はますます藤見を抱くことに執着するのだ。

  いつも冷たい顔が自分が抱いている時は淫らに崩れる、 そのギャップがたまらなかった。

  快楽に悶え、 淫蕩に潤む顔に征服感がいや増す。

  心の中ではこんな行為は無意味だとわかっていた。

  それでもやめられない。

  藤見にとってはいい迷惑なんだろうが、 あんな態度をとる彼が悪い。

  自分につけこむ隙を見せる彼にも責任はある。

  瀬名生はリビングに戻るとテーブルの上を片付けはじめた。

  また、 藤見の先ほどの表情が浮かぶ。

  気のせいだ。

  瀬名生は頭を振って強引に忘れようとした。

  しかし その疑問はそれからずっと瀬名生の頭の中から離れなかった。









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