楽園の瑕




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 ………固い……痛い………何……?

 寝返りを打とうとしたサラーラは、いつもと違うベッドの固い感触に顔を顰めた。

 頬にあたるシーツもごわごわとしていて気持ち悪い。

「…………?」

 何か、変だ。

 何か……大事なことを忘れているような気がする………。

 まだはっきりとしない意識の中で、サラーラはぼんやりと思った。

 何か……何を………。


” 王子、お助けに………一刻も早くここから脱出を…… ”


 耳に蘇ってきた言葉に、サラーラははっとした。

 見る見る記憶が蘇る。

 そうだ。 突然現れた男が自分をここから……ファビアスの元から連れ去ろうと……。

 ぱっと目を開ける。



「………ここ………ここは、どこ……?」

 

 そこは見慣れた部屋の中ではなかった。 いや、建物の中でさえない。 

 目に入るのは、見渡す限り緑の生い茂る木々ばかりで………。

 サラーラは呆然と身を起こした。

 自分が横たわっていた場所も、ベッドではない。

 茶色い土の上に一枚の布が敷かれているだけ、 その上に横たわっていたのだ。

「ここは……」

「お目覚めか」

 ふいに聞こえてきた声に、サラーラははっと振り返った。

 そこには、あの、サラーラを連れ去ろうとした男がいた。

 片膝をついてサラーラをじっと見ていた。

「……あなたは………ここはどこ? 僕は………」

 サラーラの怯えた目に、男…ギルスは薄く笑った。

「ここはタラナートとマナリスの国境近いフォーンの森の中です。 王子にはしばらくの間

不自由をかけますが、マナリスに入るまでご辛抱いただきます」

「マナリス………僕は…僕は、そんな………」

 嫌だ、と震えながら首を振る。

 嫌だ……嫌だ……マナリスになど、行きたくなかった。

「王子」

 そんなサラーラに、ギルスが強い口調で言う。

「王子にはどうしてもマナリスにお戻りいただきます。 わがマナリスの復興のために」

「僕は………」
 
「それがマナリス王家にお生まれになった王子の務めです。 サラーラ王子には王子としての

責務を果たしていただきます」

 そう告げるギルスに、サラーラは怯えた目を向けた。

 怖い。

 目の前の男が何故か恐ろしく感じた。

 自分を王子と呼びながら、膝をつき頭を下げながらも、男の目にはサラーラにはわからない

光があった。

 その光は冷たく、サラーラの心を怯えさせる。

「ぼ、くは………」

「マナリスにお戻りいただきます」

 嫌だ、というサラーラのかすかな声は、無言ではねつけられた。

 そこにはサラーラの意思はなかった。

 僕は……僕は………。

 サラーラはそれでも首を振り続けた。

 嫌だ……………ファ、ビアス…様………。

 数日のうちには迎えに来るから。 そう言ったファビアスの別れ際の笑顔を思い出す。

 ファビアス様………迎えに来て………。

 心の中で願い、そして次の瞬間絶望する。

 ファビアスは自分が今こんな森の中にいるとは知らない。 あの離宮の部屋の中にいると

思っている。

 どうしよう………。

 恐ろしさに体が震える。

 どうしよう……どうしよう………。

 このまま、マナリスに連れて行かれてしまうのだろうか。 そうなれば、もうファビアスとは

会えなくなるのだろうか。 自分はどうなるのだろうか。



「そろそろ出発するぞ」

 数人にいる仲間らしき男達に準備を促すギルスの声が聞こえる。

 ファビアス様………!

 サラーラは震える体を抱きしめながら、ファビアスに助けを求め続けた。








 





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