楽園の瑕




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 怒りに震えながら、ファビアスは拳を固く握り締めた。 

 この女のためにサラーラは………っ!

 蒼白な顔で座り込むモルディアを憎悪に満ちた目で見下ろす。 これほど激しい怒りを覚えた

のは初めてだった。 あまりの激しさに目の前が真っ赤に染まるのを感じた。

「……サラーラはどこだ」

 怒りを抑えた低い声に、モルディアがびくりとする。

「だ、だから知らないって……私はただあいつらがここに入るのを助けただけよ。 ちょっと

番兵に中に入れるように言っただけじゃない。 あいつらが勝手にサラーラを連れて行ったのよ。

私は何もしていない、 私は悪くないわっ」

 しゃべっている内にだんだんと開き直ったのか、モルディアの口調は傲然としたものになって

いった。
 
 もともと公爵家の、しかも王族に連なる者として人々にかしずかれ、甘やかされ放題に

育ってきた彼女だ。 何をしても許される立場にあったため、己の非というものを認めることに

慣れていない。 当然、今回のことも自分が罪に問われることなどないと信じている。

何といっても、自分はこの国の、国王でさえも一目置かざるを得ない公爵家の令嬢なのだ。

 その意識が彼女の中に強くあった。

「大体元はといえば、貴方が私を捨てたからいけないのよっ 私を捨ててあんな男とも女とも

わからない化け物を王妃にしてっ! この私を笑い者にするなんてっ! 私から王妃の座を

奪ったあの化け物もそうよっ マナリスが滅んだ時にさっさと死んでいればよかったのに、

意地汚く生きているからこんな目に遭うのよ。 あんなおぞましい者には当然の報いよっ!」
 
「………だまれ……」

「せいぜい元自分の家臣達の手で惨めに死ねばいいんだわ。 自分達を裏切った王子を

あいつらが許すはずないわよ。 あの、憎い敵の子を宿して膨れ上がったお腹を見た時の

あいつの顔ったらっ! 見ものだったわよ。 自分達の大切な大切な王子の正体を知って

愕然としていたわ。 今頃憎さのあまり………」


「黙れっ!!!」


「っひ!」

 目の前に鞘から抜かれた剣がある。 その刃がまっすぐ彼女の喉元を狙っていた。

 ぎらぎらと憤怒に燃える目がモルディアを睨みつけている。

「……な、なによ。 私を殺すの? 私を殺せばお父様が黙っていないわよ。 国中の重臣を

敵に回すわよ。 貴方なんかすぐに国王の座から引きずり下ろされるわ」

「知らぬのか? お前の父親はお前が宮廷から追い出された後すぐに領地に戻ったぞ。

表向きは静養のためと言っていたが、いろいろと後ろ暗いことをしていたようだからな。

なあ? リカルド」

「ええ」

 ファビアスの声に、リカルドが冷ややかな笑みを浮かべた。

「少し財政等に不審な点がありまして調べさせていただきましたら、 父君は地方貴族との仲が

たいそうよろしかったようですね。 国庫に入るはずの税の一部がどうやら父君の懐に入って

いたようで……しかもその事実を隠すために、勝手に軍の兵の数を水増しされていた。 

証拠の書類をお見せしたら急にお加減が悪くなられて、次の日には体調の不良を理由に

公爵家の領地に戻られましたよ」

「!」

 目を見開くモルディアに、ファビアスは突きつけていた剣を下ろした。

「お前をここで切り殺すのは簡単だがお前にはそのような価値もない。 さっさとこの国から

出て行け。 公爵家は今日をもって廃絶とする。 お前達には国外退去を命じる。この国に

また戻ってきた時は即刻処刑されると思え」

「な、なによなによっ!! こんな国、こちらから出て行ってやるわ。 あんな化け物を王妃に

据える王の治める国なんてどうせすぐに滅んでしまうわよっ」

 蒼白な顔で、それでもそれだけ吐き捨てるように言うと、モルディアは足音も荒く、その場を

立ち去っていった。

「よろしいのですか?」

 モルディアの立ち去った後を見ていたリカルドが、ファビアスに問いかけた。

「あのような暴言、立派に国に対する反逆罪にあたりますが………兵達も動揺しているよう

ですし、はっきりとした処罰を与えた方が……」

「リカルド」

 不満そうな顔を隠しもしないリカルドだったが、ファビアスの表情を見た途端、その思いは

吹っ飛んだ。

 ファビアスの顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。

「国内国外を問わず、近隣の主な諸国諸侯全てに通達しろ。 タルア公爵家は今後一切

タラナートとは関係のないものとする。 また彼らに関わるもの全てもタラナートの庇護から

外れるものと思え。 どのような場合であっても、どの国にあっても、だ」

 リカルドの目が見開かれる。

「承知いたしました。 すぐに手配を」

 ファビアスの怒りの深さを知った気がした。

 タルア公爵家に下された処罰は、彼らが思っている以上に重いものだ。

 おそらく、モルディアは国外にあってもどちらかの国の王家の庇護を受けられると、その宮廷

に受け入れられると信じている。 彼女の美貌、そしてその血筋によって。 だからこそ、あの

ように傲然と振舞えたのだ。

 しかし、ファビアスはそれを許さなかった。

 この通達によって、彼女達はあらゆる国の宮廷から拒否を受け、締め出されることだろう。

大国タラナートの庇護を失うということは、言い換えれば敵に回すということだ。 今、タラナート

を敵に回して生き残れるような国力を持つ国はいないだろう。 それだけタラナートは強大だ。

先だってのマナリスとの戦いもまだ記憶に新しいはず。 その戦いの総指揮をした国王の怒りを

買うような真似をする国はいない。

 タルア公爵家は、本当の意味でおしまいだ。

 どこの宮廷からも受け入れられない彼らに、貴族として生きる道はない。 

 あの自尊心の高いモルディアがこのことを悟った時にはもう遅いのだ。

 平民として地面に這い蹲るようにして生きるか、それとも………。

 リカルドは頭を振って考えを消した。

 今はそれどころではない。

「リカルド、行くぞ」

 すでにファビアスは足早に部屋を出て行こうとしていた。

「陛下っ お待ちくださいっ」

 今はサラーラを救出することがまず第一だ。

 モルディア達がどのような末路を辿ろうと、もう自分達には関係ないのだ。





 





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