楽園の瑕




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「草の根わけても探し出せ! 国中に追っ手をかけろ!」

 サラーラが攫われた。

 そのことを知ったファビアスは烈火のごとく怒り狂った。

「やはり、マナリスの……」

 話しかけるリカルドをじろりと見る。

「リカルド、言ったな。ここなら王城よりも安全だと」

「申し訳ありません。奴らがここまで内情に詳しいとは………」

「手引きした者がいると言っていたな。その人物の特定を急がせろ。その者が今回のことに

加担している。間違いない」

「はい………」

「サラーラにもしものことがあってみろ。 お前も八つ裂きにしてやる」

 厳しい表情でリカルドを睨む。

「今回のことは私の完全な判断ミスです。対応が遅すぎました。その償いは………」

「必ずサラーラを無事に取り戻せ。それからだ」

 その時、

 ガタンッ!

 扉に何かがぶつかる音に、二人ははっと振り返った。

「クルシュッ!」

 そこには毛皮を血で赤く染めたクルシュがいた。

「クウ……ヒュ…ヒューン……ヒュー……」

 よろよろとフファビアスの足元に歩み寄り、ばたりとその場に倒れこむ。

「クルシュッ!」

 見ると、クルシュの左目から首にかけて剣による大きな傷があった。

 そこから今も血が流れ出している。

「お前、その傷は賊にやられたのか? ……リカルド!」

 ファビアスは傷ついたサラーラの愛犬を助けようと、部下に手当てを命じた。

 しかしクルシュはそんなファビアスに何かを伝えようとするかのように、彼の手に必死に

鼻先を押し付けた。

「クルシュ?」

 思わず手を出すと、クルシュは手の平にぽとりと口に咥えていたものを落とした。

「これは………布の切れ端、か?」

 何やら刺繍のしてある布の切れ端だった。

「服の一部のようですね………袖……いや、上着の裾でしょうか」

 リカルドも側に近寄ってその布を見る。

「この刺繍はどこかの紋章のようですね。タラナートのものでは………この独特の形といい、

これは………マナリスの……?」

 はっと顔を見合わせる。

 そして横たわる犬に目を向けた。

「クルシュ………サラーラはマナリスの人間に攫われたのか? これはその人間のものか?」

 ファビアスの問いに、クルシュはそうだと言うように、一度だけパサリと尻尾を振った。

「やはりマナリスか………クルシュ、よくやった」

「キュウ………」

 声をかけると、小さく答えるように唸り、ぐったりと横たわった。

「リカルド! 急いで手当てを!」

 荒い息を繰り返す犬に手を当てる。

「必ずサラーラは連れ戻す。お前も死ぬんじゃない。サラーラが悲しむ」

 友達のように、兄弟のようにサラーラが可愛がっていた犬だ。

 このような形で死なせるわけにはいかない。

 必ず助けてやる。

 ファビアスは忠実に自分の役目を果たしたクルシュをそっと撫でた。



 





「マナリスの残党に攫われたのが確実だとすると、向かうのは国境ですね」

「ここから一番近い国境はどこだ?」

 地図を広げて確認する。

「………フォーンの森、ですね。ここから馬で三日ほどの距離です」

「三日………」

 今から追っ手を差し向けて、ぎりぎり間に合うかというところだ。

「すぐに向かう。馬の用意を!」

「陛下! まさかご自分で?!」

 自ら赴こうとするファビアスに、リカルドは顔色を変えた。

「おやめください。あなたは国王なのですよ。フォーンへは私が参ります。サラーラ様は

私が必ず………」

「サラーラが攫われたのだぞ。このようなところでじっとしていられるか。俺が行く」

 言いながら、すでに扉へと向かっている。

「なら、私も………っ!」

 このような時のファビアスは何を言ってもダメだと知っているリカルドは、諦めた顔で

後に続いた。





 
「陛下!」

 廊下を急ぎ足に歩いていたファビアス達に、外に探索に出ていたはずの兵の一人が

声をかけてきた。

「どうした」

 リカルドが何事かと尋ねる。

 一刻も早くサラーラを助け出すことしか考えていないファビアスは、ちらりと兵に一瞥を

くれただけでそのまま行きすぎようとする。

 が、次の言葉にふと足を止めた。

「近くの町の宿にある御方が………一応、お耳に入れた方がいいかと………」

「御方?」

 リカルドは首を傾げた。

 その言い方に、相手がただの人間ではないことを知る。

 察するところ、よほど身分の高い人物か。

 ファビアスも眉を顰めて兵に向き直った。

「誰だ?」

「はっ…………それが………」

 言いにくそうに、ちらりとファビアスを見る。

「申せ。誰だというのだ」

 イライラと声を荒げる。

 こんなことをしている暇はないのだ。

 じろりと睨まれ、兵士は慌てて言葉を続けた。

「はいっ 実はモルディア様が…………タルア公爵ご令嬢が………」




 
 隣でリカルドの息を呑む音が聞こえた。

 ファビアスはぴくりと眉を動かしたが、表情が変わることはなかった。

 しかし、その目は今までになくは険しい光を帯びていた。












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