楽園の瑕




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 王城に向かって馬を走らせていたファビアスは、ふと名を呼ばれたような気がした。

「………?」

 すぐ後ろに従うリカルドをちらりと見るが、彼ではないようだ。

 気の、せいか………?

 そう思うが、何故か胸が騒いだ。

 何か、胸の中を焦燥感のようなものが渦巻いている。

 一体どうしたというのだ。

 訳がわからず、ファビアスは馬の足を止めた。

「陛下?」

 急に馬を止めてじっと何か考え込むファビアスを、リカルドが訝しげに見る。

「どうなさいました? 馬の調子でも? なら至急代わりの………」

「違う」

 付き従う部下に代わりの馬を用意させようとしたリカルドに、ファビアスは首を振った。

「そうじゃない。………何か胸騒ぎがする」

「胸騒ぎ?」

「誰かが………サラーラが俺を呼んでいるような気がする」

「妃殿下が? まさかそのような………」

 もう彼の人が恋しくなったのか、と笑おうとしたリカルドだったが、ファビアスの真剣な表情に

笑みを消す。

「………陛下?」

「戻る」

 ファビアスは短くそう告げると馬の向きを返し、今来た道を戻り始めた。

 ただの気のせいならそれでいい。 しかし……………。

「陛下!」

 自分の呼び声にも答えず駆け足で戻るファビアスに、リカルドはやれやれとため息をついた。

「これはやはり国政のためにも、妃殿下には王城にお戻り願った方がいいか」

 そう呟きながら、自分もファビアスの後に続く。

 数刻後、リカルドは自分がとんでもない光景を目にすることになるとは思いもせずに。








「………あれは何だ?」

 離宮が遠くに見えた時、ファビアスはふと違和感を感じた。

 リカルドも眉を顰める。

「妙ですね。門が開いている」

 よほどのことがない限り閉じられているはずの門が、大きく開いていた。

 そしていつも門の側に立っているはずの番兵は…………。

「番兵が倒れている! 何か…………っ!」

「サラーラ!」

「陛下! お待ちください! 我々が先に……っ」

 顔色を変えて馬を走らせるファビアスを、リカルドは慌てて止めようとした。

 離宮で何かが起こったのは間違いない。

 その事実を確かめるまで、大事な身であるファビアスを行かせるわけには。

 しかし、サラーラの身を案じたファビアスがリカルドの言葉を聞くはずがない。

 険しい表情で門の中へと馬を乗り入れた。

「サラーラ! サラーラッ!!」

 馬から飛び降り、建物の中へと駆け込んでいく。

「陛下! お待ちください!!」

 後に続いたリカルドは、賊がいないか周囲に目を走らせる。

 しん、と静まり返った様子がかえって不気味だった。

 しかし、賊がいる気配はない。すでに立ち去ったようだった。

「サラーラッ!」

 ファビアスはわき目も振らず、サラーラの寝室へと向かった。

 自分がここに到着したのに誰も出てこないことが、さらに不安を掻き立てる。

 まさか……っ

 血を流して倒れるサラーラの姿が脳裏に浮かび、背筋に冷たいものが走る。

「サラーラ!!」

 駆け込んだ部屋の中でファビアスが見たものは………。






「………サラーラ?」






 誰もいない、空っぽのベッドだった。















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