楽園の瑕




79







「モルディア殿、厩舎はこの裏といったな」

「ええ、そう。 お急ぎなさい。今のうちに少しでもここから遠くに離れておかなければ」

 モルディアの言葉にギルスは頷くと、彼女の案内に従って歩き出した。

 ちらりと目を落とすと、サラーラは青白い顔で気を失ったままだった。

 歩を進めるごとに、その動きにあわせて白い髪がさらさらと揺れる。

 裏切り者。

 サラーラに対する怒りにまた襲われる。

 が、それと同時に、サラーラの顔を見ていると、何か得たいの知れないもやもやとした

感情が込み上げてきた。

 腕に伝わる体温、そして柔らかくしなやかな感触。

 髪が揺れると共に漂う仄かにいい香りが鼻をくすぐる。

 ギルスはふと、眩暈のようなものを覚えた。

 これは、本当に我々の王子、なのか……?

 この信じられないほど美しい存在が…………?

 心の中では、この者は裏切り者なのだという怒りに震える声が依然としてある。

 しかし、その片隅で、囁く声がある。

 男でも、女でもある存在。 では、この王子を手に入れる者は………?

 王子に自分の子供を身ごもらせることもできるのだ。次のマナリス王となる子を………。

 何を考えている。

 ギルスは首を振った。

 己がマナリスの王座を手に入れようなどとは。

 頭をよぎった邪な考えを振り払おうとする。

 しかし、その考えは、その後いつまでもギルスの頭の中から離れなかった。






「ここよ。………そういえば他の皆は? 遅いわね」

 ギルスがサラーラを救い出す間に、この離宮にいる人間達が騒ぎ出さないようにと

一緒に侵入した他の者達が手を打っているはずだった。

「もうすぐこちらに来るはずだ。厩舎の場所は教えているのだろう」

「上手くやったようね。静かなものだわ」

「眠り薬を用意した。マナリスの秘伝の薬だ。効き目は絶大だ。猛獣もすぐに眠ってしまう。

それを離宮内の各部屋に放りこませた」

 馬を目で物色しながらギルスは答えた。

「ああ、だから………準備のいいことね」

「朝までは目が覚めないはずだ。充分時間は稼げる」

 一頭の馬を選び出し、サラーラを片腕に抱いたまま鐙に足をかける。

 と、

「……ウ〜〜ッ、ガウガウッ!」

 厩舎の影から黒い影が飛び出してきた。

「何?!」

 ギルスは飛びかかってきたその影に足に食いつかれそうになり、咄嗟に剣を振っていた。

「ギャウンッ!」

 地面に倒れたそれを見て、ギルスは眉をひそめた。

「………犬?」

「王子の犬だわ。そういえばいつも側にいたわね」

「王子の?」

「ちょうどいいわ。騒がれると厄介だもの。殺したの?」

「おそらく………」

 倒れ伏したままピクリとも動かない獣に、ギルスは曖昧に頷いた。

 そこへ、他の男達がばらばらと集まってきた。

「ギルス……!」

「………その方が王子か?」

「ご無事なのか?」

「………気を失っておられるだけだ。それよりも急ぐぞ。少しでもここから遠く離れなければ」

 口々に問いかける男達を手で制すると、ギルスは馬にまたがった。

 男達もそれ以上は何も言わず、各々に馬を引き出し飛び乗る。

「………モルディア殿?」

 その中でただ一人、馬に乗ろうとしないモルディアに、ギルスはどうしたと問いかけた。

「私はここでお別れするわ。もともとマナリスの人間ではないし。女が一緒にいればあなた達も

足手まといになるでしょう」

「しかし………」

「大丈夫よ。決して他言はしないわ。だってそうでしょう? そんなことをすれば私自身の身も

危ないもの」

「………どこへ行くつもりだ」

「さあ、とりあえず領地に戻るわ。それからは………多分、国を出るでしょうね。いつファビアスに

感づかれるともわからないし」

「そうか…………礼を言う。モルディア殿。あなたの助力には感謝する」

 ギルスは頷くと、モルディアに礼を言って馬を走らせようとした。

「………待って」

 ふと、モルディアが何かに気づいたようにそれを止めた。

 そして、ギルスの馬に近づくと、彼の腕に抱きかかえられたサラーラに手を伸ばした。

「モルディア殿?」

 サラーラの指から何かを引き抜いたようだった。

「タラナート王妃の証の指輪よ。こんなものがあったら後々面倒でしょう?」

 大きな赤い宝石の嵌った指輪を掲げて見せる。

 王妃という言葉に、ギルスの表情がまた険しいものに変わる。

 サラーラを抱く腕に、知らず力がこもった。

「これは私がいただいておくわ。いいでしょう?」

「ああ、もちろんだ。………では」

「無事にマナリスに戻れることを祈ってるわ」

 馬で走り去る男達を見送りながら、モルディアは呟いた。

「………ほんと、二度とここには戻らないことを、ね。サラーラ王子。さようなら」

 うふふ、と笑いながら手の中の指輪に目を落とす。

 ずっと、欲しかったものだった。これが自分の指にはまることを夢見ていた。

「こんな形でなんて、残念だけど」

 でもいいわ。 

 自分の薬指にはめてみる。

「ほら、ごらんなさい。私の方がずっと似合うじゃない」

 うっとりと指輪をした自分の手に見とれる。

「ファビアスもバカよ。あんな化け物を選ぶからこんな目に遭うのよ。うんと苦しめばいいわ」

 いい気味。

 サラーラがいなくなったと知ったファビアスの慌てふためく姿を想像し、ほくそ笑む。

「さあ、私も早くここから離れなきゃ」

 残った馬達の中から一頭を引き出すと、モルディアはたずなを引きながら門へと向かった。

 門には一人の男が倒れていた。

 彼女達に門を開いた番兵だった。

 その体には剣による切り傷があった。

 ギルス達の仕業だろう。

「ごくろうさま」

 死体に一瞥をくれると、モルディアは小さく笑った。

 そして優雅な足取りで、門から出て行った。











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