楽園の瑕






77








 ふと、何か物音を聞いたような気がして、サラーラは目を開けた。

「………?」

 ベッドに身を起こし、耳をすませるが、何も聞こえない。

「……気のせい?」

 小さく呟くが、何故か落ち着かない。

 なんだろう……何か嫌な感じがする。

 胸の中がぞわぞわとして、気持ちが悪い。

「……クルシュ?」

 自分の傍にいるはずの愛犬の名を呼ぶ。

 しかし、答える声はなかった。

「クルシュ?」

 ベッドの傍を見下ろすが、いつもいるはずの場所にその姿はない。

「クルシュ……クルシュ。 ……誰か! ノーザ!」

 不安になって、信頼する侍女の名を呼ぶ。

 しかし、いつも隣の部屋に待機し、呼べばすぐに部屋に来てくれるはずの侍女も、

何故かいつまで経ってもその姿を現さなかった。

「……ノーザ……クルシュ! 誰か!」

 不安に駆られ、サラーラはベッドから降りて部屋の扉へと向かった。

 どうして、誰も来ないのだろう。

 クルシュは……ノーザは一体どこに行ったのだろう。

 嫌な胸騒ぎがした。

 しん、と静まり返った空間が怖かった。

 誰でもいい、誰か……。

 サラーラは人の気配を求めて扉を開けた。

 と、



 突然、強い力で腕を掴まれた。

「……っ!」

 思わず叫び声を上げようとする。

 が、その声は素早く口を覆った大きな手によって塞がれた。

「…っ! っ!」

「……まさか、サラーラ……王子…か?」

 混乱し、闇雲に暴れようとしたサラーラは、自分の名を呼ばれ、動きを止めた。

 ……誰?

 暗闇の中、必死に自分を捕らえる者を見ようと目を凝らす。

「サラーラ王子か。………おお…なんと……なんと、ご無事で……!」

 感極まったような声が聞こえる。

 自分を、知っている人………?

 聞いたことのない声だった。

 この離宮にいる兵士の一人だろうか。

 その時、口を覆っていた手が外され、サラーラを捕らえていた者がその場にひざまづいた。

 サラーラの手をとり、その甲に頭を垂れる。

「サラーラ王子、よくぞご無事でいらっしゃいました。私はギルスと申す者、父はマナリスの

キリエル伯爵。王子の父上、マナリス王には大恩をいただいたものです」

「………ギルス……マナリス……? 僕の……国の……?」

 思いがけない言葉に、サラーラは困惑の目を向けた。

 どうして、マナリスの人が自分の所へ……?

 ファビアスが招いたのだろうか。

 しかし、それならどうしてこんな夜中に………?

 状況がわからないサラーラは、目の前の人間が何故ここにいるのか理解できなかった。

 そんなサラーラを見て、ギルスは長い間の幽閉生活で王子は怯えきっているのだと

思い込んだ。

 無理もない。

 あの冷酷なタラナート王のことだ。

 亡国とはいえ、由緒あるマナリスのたった一人の王家の生き残りをただ黙って放っておく

はずがない。

 どのようにひどい幽閉生活を強いられていたのか。

 想像し、憤りを感じた。

 もう、そのようなお辛い目には遭わせない。 このような場所から一刻も早くお救いするのだ。

 義憤に駆られ、ギルスはサラーラの手を握り締めた手に力を込めた。

「サラーラ様、もう大丈夫です。私どもがお助けにあがりました。 さあ一刻も早くここから

脱出を………」

「………脱出?」

 サラーラの目が見開かれた。

「そうです。ファビアス王の追っ手がかかる前に、少しでも遠くに逃げなければ……マナリス

の再興のために」

 逃げる……逃げる? ファビアスから? 自分が?

 やっと、サラーラは理解した。

 この人は自分をファビアスから引き離すために来たのだと。

 マナリスのために、マナリスを再興するために、自分をここから連れ出そうとしているのだ。

 そう理解した途端、サラーラは掴まれた手を振り解いていた。

「サラーラ王子?!」

「嫌だ!」

 男のそばから後じさり、サラーラは強く頭を振った。

「嫌だ! 僕はどこにも行かない!」

 どこにも行かない、ここにいる、と叫ぶ。

 驚いたのはギルスの方だった。

 救い出そうとした当の王子が、行くのは嫌だと言うのだ。

「サラーラ王子、一体何を……」

「嫌だ! 嫌! 誰か……誰か! 助けて……!!」

 叫び出すサラーラを、慌ててギルスは押さえつけた。

 手で口を塞ぎ、その身を拘束する。

 と、その困惑した顔が、驚愕に変わった。

 細い体を拘束していた手から、信じられない感触が伝わってきたのだ。

 それは………。

「……サラーラ、王子……?」

 この、腹部にある膨らみは一体何なのだろう………。

 どうして、王子にこのような………。

 思わず、手でその膨らみを確かめようとする。

「……っっ!!」

 その時、サラーラが一層激しく暴れ出した。

 ギルスはサラーラが逃げ出さないよう、手に一層の力を込めた。

 口を塞いでいた手にも力が入る。

 サラーラは苦しそうにその手をもぎ取ろうとした。

 が、どうしても外れない。

 息がだんだんと苦しくなってくる。

 ファビアス様、助けて……っ

 息苦しさに、意識が朦朧としてくる。

 手から、全身から力が抜け落ちる。

 男の手がぐったりとした自分を抱き上げるのがわかった。

 しかし、それをどうすることも出来ない。

 ファビアス様……ファビアス様………。

 遠くなる意識の中で、サラーラはファビアスの名を呼び続けた。











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