楽園の瑕



71






「いやっ!」

 サラーラは真っ赤な顔をして首を激しく振った。

「絶対いや! 僕は帰らないっ ここにいる!」

「サラーラ、馬鹿なことを言うな。 俺と一緒に城に帰るんだ」

「いやっ! 絶対絶対いやっ!」

 ファビアスの言葉にサラーラは首を振り続けた。




 サラーラの気持ちが落ち着いたと見たファビアスは、早速彼を城に連れて帰ろうとした。

 すぐにでも出立しようとするファビアスに、しかし思いがけずサラーラが拒絶の意を表した。

「お城に帰っちゃったらキリ達と会えなくなっちゃう。そんなの嫌だ!」

 可愛がっている子供達と別れることを嫌がり、どうしても帰ろうとしない。

「しかしだな、サラーラ……」

 初めて見るサラーラの我儘に、ファビアスは戸惑いながら説得しようとする。

「そうでございます。サラーラ様、何もキリ達とずっと会えなくなるわけでは……」

「じゃあ、キリ達も僕と一緒にお城に来る? 一緒にお城で暮らすの?」

「そ、それは……」

 訴えるように見つめられ、ノーザは口ごもった。

 そういうわけにはいかなかった。

 キリ達の父親……ノーザの姪の夫はこの離宮の近くの砦に配属されている兵士だった。

 だからこそ、こうやって子供達を預かることができたのだ。

 いつでも親元に戻すことができるから。

 しかしいつまでも幼い子供を両親から引き離しておくわけにはいかない。

 そもそも、サラーラが子供という存在に慣れるまでの間、という話だったのだ。

 それが、予想外にサラーラが子供達を気に入ってしまったため、今でさえ予定の日数を

すでに延長している状態だった。

「サラーラ様、キリ達の親はこちらに住んでいるのです。子供達の住む場所はここなのですよ。

それを勝手に城に連れていくことは……」

「じゃあ、僕もここに住む!」

「サラーラ……」

 頑として首を縦に振らないサラーラに、ファビアスは頭を抱えてしまった。

 無理に城に連れて戻ることはできる。

 しかし、それはしたくなかった。

 やっと、心の安定を取り戻したのに、またぶり返すようなことになったら……。

 そのようなことになったらサラーラの身も、お腹の子にもいい影響を与えることにはならない。

 万が一にも体調を崩すようなことになれば、と思うと強気に出ることができない。

「サラーラ、わかった。子供達の親を城に迎えるようにしよう。父親の任地を都に移すから、

だからしばらく我慢してくれ。 な? すぐにまた会えるようにしてやるから」

「本当?」

 とうとうファビアスが最後の手段とばかりに、王の特権を使った。

 サラーラの目が期待に輝く。

「すぐっていつ? 明日? 明後日?」

「いや、そんなにすぐというわけには………城での手続きや何かで…多分、一週間…いや、十日

……くらいか?」

「っ! そんなに会えないのは嫌だあっ! だめ! 僕もそれまでここにいる!!」

 期待しただけに、落胆が大きい。

 サラーラは前にも増していやいやと激しく拒絶した。

「サラーラ……」

 ファビアスは何とも情けない表情を浮かべて、そんな妻を見つめていた。

 自分と一緒にいるより、他人の子供と一緒にいる方がいいのか?

 サラーラの中での自分の優先の低さにどんよりと気分が落ち込む。

「サラーラ、俺と一緒に城に帰ろう。 な? そうだ、お前の好きな菓子をいっぱい作らせるぞ。

部屋にいっぱいだ。 他国から珍しい物も取り寄せよう。 お前が見たこともない花や宝石や

面白いゲームなどどうだ? 綺麗な服も作ってやる。 なんでも好きなものを手に入れてやるぞ」

「お腹がこんなに大きくなってるのに窮屈な服なんていらない! 美味しいお菓子ならノーザが

いっぱい作ってくれるからいらない! ゲームをするよりキリ達と遊ぶ方がずっとずっと楽しい!」

 ファビアスが何を言って宥めすかしても、どうしてもサラーラは納得しなかった。

「絶対絶対キリ達と別れるのは嫌だあ〜〜っ!」

 とうとう、うわ〜ん、と泣き出してしまう。

「サ、サラーラ……!」

 ファビアスは、もうどうしていいのかわからず、ただおろおろとうろたえるばかりだった。

 こんなサラーラは初めてだった。

 しかし、はっきりと自分の意思を表し、我儘を通そうとするサラーラも可愛いな、と

ファビアスは困りながらも、ふとそう思ってしまった。

「サラーラ、判った、判ったから……そんなに泣くな。腹の子に触る」

「じゃあ、ここに残ってもいい?」

「それは……」

 うっと言葉に詰まる。

 初めてのサラーラの我儘を叶えてやりたい気はある。

 あるのだが、しかしそうなると自分はどうなるのだ。

 またサラーラのいない城で一人寂しく過ごさなければならないのかと考えると、おいそれと

うんとは頷けない。

「ファビアス様……」

 サラーラが期待のこもった目でファビアスを見る。

「あ……う……」

 どうしたものかと、ファビアスは言葉を捜し、目をあちらこちらに彷徨わせた。


「いいではないですか。あと少しの間くらい、サラーラ様にはこちらにおいでいただいては?」


 その時、新たな声が部屋の中に加わった。








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