楽園の瑕




70







「サラーラ……」

 荒い息が落ち着くと、ファビアスは目の前の白い髪に愛しげに口付けた。 そしてそのまま

唇を白い額、瞼、頬へと滑らせていく。

「ファビアス様、くすぐったい……」

 細い首筋にもキスを降らせていると、息が肌にあたるのか、サラーラがくすぐったそうに

くすくす笑いながら首をすくめた。

 その声が明るく澄んだものに、ファビアスはぱっと顔を上げてサラーラの表情を窺った。

 自分を見る瞳が何の恐れや怯えを含んでいないことに、改めて喜びがこみ上げる。

「サラーラ………俺が……怖くないか? そばに、いてもいいのか……?」

 問う声が知らず震える。

 サラーラはファビアスの顔を不思議そうに見つめると、にっこりと笑った。

 その笑みに魅入られたようにファビアスはサラーラから目が離せなかった。

「どうして? ファビアス様は僕にひどいことをしないんでしょう?ノーザが教えてくれたの。

僕とファビアス様は一緒にいてもいいんだって、ファビアス様は僕の敵じゃないって………

そうでしょう?」

 無邪気にそう聞かれ、ファビアスは一瞬答えにつまった。

 敵………。

 言葉が胸に突き刺さる。

 確かに、自分はサラーラの国を滅ぼした敵だ。彼から全てを奪った。国も家族も乳母も、

そしてその身までも………。

 しかし、この胸の中にある愛しさは本物だ。彼を誰にも渡さないと、強く思うこの気持ちは。

「………ああ、そうだ……俺は、お前の敵じゃない。お前は俺のたった一人の大切な人間だ」

 サラーラの頬を両手で包みこみながら囁く。

「俺はお前を何よりも愛している。お前を全てのものから守り、愛するのが俺の役目だ」

「守る?」

「ああ、お前を傷つけるもの、苦しめるもの全てからお前を守ってやる。お前は俺のそばに

ずっといるんだ」

「うん………」

 そばにいる、という言葉に、サラーラはこくんと頷いた。

 そう、自分はファビアスのそばにいる、何故だかそれが一番正しいことのように思えた。

 それに……

「赤ちゃんもそれがいいって、そう思っているのかな?」

 自分の腹を見下ろしてそう呟く。

 赤ん坊。

 その言葉にファビアスははっとした。

 そしてがばっとサラーラの上から身を起こした。

「そうだ……っ! サラーラ、大丈夫か? 腹の子は……体は大丈夫か?!」

 自分の体でつぶれてしまいはしなかったかと、いや、それよりこのようなことをして、

腹の子に差し障りがあれば、と真っ青になる。

 どうして忘れてしまったのか、サラーラの体にもしものことがあれば………。

「医者を……ノーザ、ノーザ!!」

 蒼白な顔で侍女を呼ぶ。

「ファビアス様、大丈夫だよ。僕、何ともないから」

 サラーラがいやいやと首を振ってファビアスに抱きつく。

「何ともないから。だから離れちゃいやだ。誰も呼ばないで」

「しかし………」

「大丈夫だよ。ノーザも医者達も、もう大丈夫だって、少し体を動かした方がいいって、

そう言っていたんだから」

「いや、だが……」

 医師達が言ったのはこういう意味での体を動かすことではなかったはずだ。

 そのことがわかるファビアスは不安を隠せない目でサラーラの腹を見下ろした。
 
 その目が驚きと喜びに輝く。

「………こんなに……大きくなったのか……」

 しばらく見ない間に、サラーラの腹はそれとわかるほどに大きくなっていた。

 自分の子供がそこにいるのだと、ファビアスの胸に誇りにも似た感情が沸き起こる。

「! ファビアス様っ」

 ファビアスはサラーラを腕に抱え上げると長椅子に座り、その膝に彼を乗せた。

 知らず震える手でそっとサラーラの腹に触れる。

「俺の……俺とサラーラの子供……」

 ここに、自分の子がいる、生きて存在している。

 ファビアスは愛しげにサラーラの腹を撫で続けた。

「………ちゃんと大きくなってるって、元気だって、医者達が言ってた。このまま順調に

いけば4ヶ月後に生まれるって………どうしてわかるのかな。4ヶ月後だって」

 ファビアスの様子を見ながらサラーラは首を傾げていた。

 ファビアスは喉の奥で笑いながら答える。

「子供は十月十日で生まれるものと決まっている」

「十月十日? 皆そうなの?」

「そうだ。………あと4ヶ月か………」

 その日が待ち遠しい。

「男だろうか、女だろうか………どちらでもよいがな」

 自分に似ているのだろうか、それともサラーラに似ているのだろうか。

 想像することすら楽しい。

「お前に似た子だとよいな。お前に良く似た………いや、しかし髪や目の色はだめだな。

その色はお前が特別な存在だという証だ。子に同じ色が出たという話は聞いたことがない」

「そうなの?」

 サラーラは自分の髪を指で摘んでまじまじと見つめた。

 そしてファビアスの真っ黒な髪に目を移す。

「ファビアス様は真っ黒な髪だね」

「ああ………俺と同じ髪の色、そしてお前に似た顔立ちの子がいいな。女ならとびきりの

美人になるぞ」

 ファビアスはサラーラに良く似た少女にお父様と呼ばれ、抱きつかれる自分を想像して

頬を緩ませた。

 が、待てよ、と考える。

「しかしそうなるといずれどこかの男に奪われてしまうか………やはり男の子供の方が

いいか? 俺の跡継ぎだ」

「僕、どっちでもいい。よくわからない………でもキリみたいな可愛い赤ちゃんだったらいいな」

 可愛がっている赤ん坊を思い出し、サラーラはにこりと笑った。

「可愛いに決まっている。俺とお前の子供なのだから」

 サラーラ様に似ればいいですねえ、貴方似だとねえ…と、リカルドがその場にいれば

突っ込みをいれることだろう。

 今から親バカ丸出しのファビアスだった。



 ほのぼのと、穏やかに幸せな空気が部屋の中に流れていた。











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