楽園の瑕
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声の主はリカルドだった。 「リカルド……お前か」 ファビアスは城に置いてきたはずの部下の姿を認め、苦虫をつぶしたような顔になった。 彼の用事が何かは聞くまでもなかったからだ。 「リカルド、いつこちらに来たの?」 サラーラは久しぶりに会うリカルドに、顔を明るくした。 「サラーラ様、お元気そうでなによりにございます」 リカルドは失礼、と部屋の中に入りながら、サラーラににこやかに挨拶した。 「先ほどこちらに着きました。 なにせ城には国王の認可を待つ書類が山のように ありますので他の重臣達が早くお帰りをと。で、不肖ながら私がそのお役目を」 要はファビアスを連れ戻しに来たのだ。 「……わかっている。早々に城に戻るつもりだった」 むすっとした顔でファビアスが告げた。 「だからこうやってサラーラを説得しているのだ。一緒に戻ろうとな」 「嫌! 僕は帰らないから! キリ達と一緒に帰る!」 「サラーラ、だからな……」 また話がぶり返される。 「私もサラーラ様に賛成ですよ。もうしばらくこちらにおられた方がお体にもよろしいかと」 「リカルド!」 とんでもないことを言い出した部下に、ファビアスが何てことを言うのだと、形相を変えた。 「お前……っ 俺がどんなに……っ」 「いいではないですか。今まで我慢されていたのですから、もうしばらくの間くらい」 「本当? 僕、ここにいてもいいの?」 味方を得たサラーラが顔を輝かせて二人を見た。 「サ、サラーラ! ……リカルド! どういう……」 「陛下」 とんでもないと首を振るファビアスに、リカルドが何気なく合図を送った。 その様子に、今まで慌てふためいていたファビアスの表情がすっと変わった。 目が冷たく光る。 「そう言えば、至急目を通していただきたいものがありました。少しお時間を……?」 「………わかった。 サラーラ、少し待っていろ」 「うん」 急に態度が変わったファビアスを不審に思う様子もなく、サラーラは素直に頷いた。 ファビアスはサラーラの髪をさらりと撫でると、リカルドを連れて部屋を出て行った。 「………何かあったのか?」 人払いをした部屋に入ると、すぐにファビアスは尋ねてきた。 リカルドもサラーラの前での朗らかな表情を消し、厳しい顔で頷く。 「情報が入りました。 以前申し上げたマナリスの残党達が不穏な動きを見せていると。 もし、サラーラ様を狙ってのことだとしたら、今、都に戻られるのは……」 「サラーラを新マナリスの王に据えようと? しかしあれが俺の正妃になっているとは 知らないのだろう。なら、城から出しておくのは返って危険ではないのか? 城の中で 厳重に警護をした方が……」 「それが、どうやら城の内部に彼らに加担している者がいるようなのです。彼らは 城の人間しか知らぬような情報を持っていたとか」 「何だと?! それは一体誰なんだ!」 ファビアスの顔に怒りの色が浮かぶ。 「正体まではまだ……。しかし今特定を急いでいるところです。おそらく前王の側近の中か、 陛下の即位に不満を持つものか……」 「俺を邪魔に思う者達の仕業だということか」 「まだはっきりとは申せませんが、おそらく……。一応、他方からも調べておりますが」 「早急に見つけ出せ。決して逃すな。残党達もだ。妙な気配を見たら即刻捕らえろ」 「御意」 低く冷たい声に、リカルドも静かに応じた。 ファビアスはふうっと息をつくと、忌々しげに呟いた。 「となると、やはりサラーラは今しばらくこちらにいた方が安全か……」 「念のため、警護の者を増やしましょう」 「ああ」 ファビアスはもう一度ため息をつくと、扉に向かった。 「もうしばらく待て。 昼過ぎには城に発つ」 「わかりました」 サラーラの待つ部屋へと向かうのだろう主を見送りながら、リカルドは微笑した。 あと少しくらい待つのは仕方ないだろう。 またしばらく会えなくなるのだから。 しかしこのことが思わぬ事態を招くことになるとは、このとき二人は想像もしていなかった。 無理にでもサラーラを城に連れて帰らなかったことを、後にファビアスは激しく 後悔することになるのだった。 |