楽園の瑕

 

60

 

 

 

    髪に触れる優しい手を感じた。

  何度も何度も繰り返し髪を梳く感触が心地よかった。

  夢うつつのサラーラは知らずその手に頬を寄せていた。

 「………サラーラ?」

  そっと囁きかけられる声。

  どこかで聞いたことのある優しい響きの……

  急激に意識が覚醒する。

  はっと目を開けたサラーラの目に映ったのは心配そうに自分を覗きこむ男の姿だった。

 「………………」

 「サラーラ? 気がついたか………俺がわかるか?」

 「……………………ファ、ビアス……様…」

  小さくつぶやかれた自分の名にファビアスはほっとしたように笑みを浮かべた。

  そんな彼の顔をじっとサラーラは見ていた。

  何か………何があったのだろう………何か忘れているような……

  頭が重かった。

  ぼんやりとした意識の奥に何かが潜んでいるような気がした。

  何が……… 

 「サラーラ、 大丈夫だ………もう何も案ずることはない。 お前を苦しめるものは全て取り除いて

やる。 モルディアはもうお前の前には現われない。 安心しろ」

 「モ、 ルディア……」

  昨日の記憶がみるみると甦ってきた。

 ” 恥知らず…! ”

  侮蔑を込めて投げられた言葉を思い出し、 サラーラの顔が強張った。

 「あ…あ…っ」

 「サラーラ! 思い出すなっ もうお前を傷つける者はいないっ」

  体を震わすサラーラをファビアスが落ち着かせようと手を伸ばした。

  胸に抱き寄せようとした途端、 サラーラの体がびくりとした。

 「…っ! いやっ!」

  ドンッと突き飛ばされ、 ファビアスの顔が驚愕に歪む。

 「サラーラ……っ?」

 「いやっ 来ないでっ!」

 「サラーラ!」

 「いやっ いやっ 僕に触らないで……っ ……違う……そうじゃない……」

  たった今拒絶した腕をサラーラは縋るような目で見つめた。

 「サラーラ……どうした……ほら、 こちらに……」

 「いやっ!」

  もう一度伸ばされた腕をサラーラは激しく首を振って拒絶する。

  そして少しでもファビアスから離れようとベッドの上を後じさる。

 「ぼ、 僕に触ら……違う……ファビアス様……」

  サラーラは頭は混乱していた。

  ファビアスの温かい腕の中に抱きしめて欲しかった。 その中で安心したかった。

  が、 そう思う側から彼の姿を怖いと思ってしまう。

  ファビアスの背後に乳母や自分の父の血塗れた姿が立っているように思えたのだ。

  夢の中で見た乳母の非難に満ちた目が自分を見ている気がする。

  この男は敵だ、とその目が言っていた。

  違う……そうじゃない。 ファビアス様は………

  そう思いながらもサラーラの心に暗い不安が満ちていく。

 「サラーラ……」

  ファビアスが心配そうに自分を見ていた。

  その手は変わらず自分に差し伸べられている。

  だが、 どうしてもその手を取ることが出来なかった。

 「いや……来ないで……」

 「サラーラ…っ わかった…わかったから、 そう興奮するな。 腹の子に障る……」

  落ち着かせようとするファビアスの言葉は、 逆にサラーラの混乱し過敏になった神経を刺激した。

  子供………っ!

  自分の腹を見下ろす。

 ” 穢れた子……っ”

  乳母の声がまた耳に甦る。

 「あ…あ…い、 や……っ」

  夢の中のように、 今にも腹を割ってあの目に見えない恐ろしいものが出てきそうに思えた。

 「サラーラっ!」

 「いやっ! 取ってっ 出して……っ こんなのいらない…っ 出してっ 出して……っ!」

 「サラーラ様っ!」

  傍らに控えていたノーザの体に縋って激しく首を振るサラーラの姿にファビアスは絶句した。

 ” いらない……っ”

  サラーラの言葉が耳にガンガンとこだまする。

  サラーラは自分との子供を疎んでいる……っ?!

  受け入れがたい事実がファビアスを打ちのめした。

  「お願い、 取って……っ」

  なおも侍女に訴えるサラーラの声が聞こえてくる。

  ファビアスは衝撃のあまり、 声もなくその場に立ち竦んでいた。









                      
戻る