楽園の瑕
58
「まあ……陛下……っ」 怒りもあらわに自分を睨むファビアスに思わずひるんだモルディアだったが、 すぐに笑みを浮かべ ベッドを下りた。 何故彼が怒っているのかは知らない。 しかしそれが自分に向けられたものとは思いもしなかった。 怒りを向けられる理由がないのだ。 自分の言葉がサラーラの錯乱を引き起こしたとは知らないモルディアは、 ファビアスが自分の 元にやって来たことだけを考えた。 やっと気が変わったのだ、 あの化け物に見切りをつけて自分の元に帰ってきたのだと思った。 だからなのね。 サラーラが大変だというのはファビアスが彼に絶縁を申し渡したからだろう。 そう都合良く解釈する。 いい気味。 せいぜい苦しむといい。 ………そして最後はこの私がこの国から叩き出してやるわ。 あら、 それとも奴隷の身にでも落としてやる方がいいかしら。 楽しい想像に頬が弛む。 「陛下。 ようこそいらっしゃいました………ずっとお待ち申し上げておりましたわ」 扉のところに立ったままのファビアスににこやかに近づく。 肉感的な肢体が薄い寝着から透けて見えるのを承知で、 その両腕を広げて彼を誘う。 しかしファビアスは黙ったまま、 すっと目を細めた。 「陛下………?」 動こうとしないファビアスに様子がおかしいと気付いたモルディアが首を傾げる。 「どうなさったの? そんな怖いお顔で………ああ、 先ほどから何やら騒がしいですわね。 サラーラ様 が大変だとか………もしやお体の具合でも………?」 形ばかり心配そうにしてみせる。 どうせ、 もう用のない存在なのだ。 ファビアスとて気にもかけていないだろうが、 それでも今のところ一応は正妃なのだ。 それが礼儀だろう。 ………すぐにその座から追い払われるとしても、だ。 すっかり自分の勝利を確信したモルディアが勝利者の優越からそう考える。 「さぞご心配でしょう……私がお慰めいたしますわ」 白い腕を差し伸べてファビアスに触れようとした。 その時、 ファビアスの口からようやく言葉が出た。 「触れるな」 その言葉に差し伸べられた腕がぴたと止まる。 「その薄汚い手で俺に触れるな」 「へ、 陛下?」 低い、 凍りつくような声でそう言われ、 モルディアはとっさに何を言われたのか理解できなかった。 「陛下っ 何をおっしゃいますの? 一体私が何を………」 「黙れっ!!」 怒声が部屋に響き渡る。 射殺しそうなほどに激しい目で睨まれ、 モルディアは声もなかった。 何がなにやらわからない。 どうして自分がこんな………どうしてファビアスは自分に怒りを向けているのだろうか。 わからず、 何か誤解があったに違いないと思った。 そうだ、もしかしたらサラーラが何か私のことをファビアスに吹きこんだのかもしれない。 私に正妃の座を奪われるかもしれないと思ったのだ。 とっさにそんな考えが浮かんだ。 思いついてみるとそれが真実のような気がした。 あの化け物が自分を追い落とそうとしたのだ! 怒りで顔が真っ赤になる。 私を侮辱するなんて………! そんなこと許せるわけがない! 「陛下! 私は何も………! サラーラ様が何か不愉快な事をおっしゃったのかも知れませんが……」 「不愉快? 不愉快なことを言ったのはお前だろう、 モルディア。 ……いや、 不敬というべきか」 「え……?」 「サラーラは何も言っていない。 あれは今それどころではない………お前の為にな!」 「わ、 私の?」 「昼間、 庭でサラーラに会ったそうだな。 その場で何があったのか一部始終を聞いたぞ」 「庭……?」 昼間、 サラーラに会ったことを思い出す。 そして自分が彼に投げつけた言葉も。 モルディアの顔がさっと青ざめた。 |