楽園の瑕

 

55

 

 

 

   「サラーラっ! どうしたっ 目を覚ませっ!」

  がくがくと体を揺すぶられて、 サラーラははっと目を覚ました。

  すぐ隣でファビアスが心配そうな顔で自分を見ている。

 「ファ……ビアス…様………」

  サラーラは涙に濡れた目で茫然とファビアスを見た。

  そんなサラーラに、 ファビアスは安心させるように優しく腕の中に抱き寄せた。

  そのままベッドにもう一度横になる。

 「どうした? 何か悪い夢でも見たか?」

  気分を落ち着かせようと、 ゆっくりとサラーラの背中を撫でながら話しかける。

 「夢………」

  まだ茫然としたまま、 サラーラは言葉を繰り返した。

  次の瞬間、 はっとして自分の体を見下ろす。

  何もなかった。

  血にまみれてもいなければ、 腹も平たいままだった。

  だが、 先ほどの生々しい夢の感触が消えることはない。

  まだ耳の奥に乳母の哄笑が残る。

  そして昼間のモルディアの声が……

 ” 敵国の王に身を委ねた汚らわしい体、 恥知らず! ”

  考えたこともなかった。

  いや、 考えることを無意識に拒否していた。

  自分の国が、 父や母が誰の手で滅ぼされたのかということを。

  そしてばあやの死……

  今やっと乳母が自分に何度も訴えていた言葉の意味を本当に理解する。

  ファビアスは、 この国は敵、 なのだ。

  そして敵に身を委ね、 その男の子供を身ごもった自分は………

  汚れて……しまったのか、 僕は………?

  今まで記憶の底に封じこめていた乳母の最後の瞬間が甦ってきた。

  あの時、 乳母は自分が汚されないように、 と叫びながら剣を向けた。

  ファビアスに抱かれるたびにますます暗い目をするようになった乳母。

  最後には狂った目で自分を見ていた。

  あの乳母の姿と夢の中の恐ろしい姿が重なる。

 「サラーラ?」

  突然がたがたと震え出したサラーラに、 ファビアスが心配そうな声を出した。

 「どうした、 サラーラ」

  話しかける声も今のサラーラには聞こえなかった。

  「あ……あ……」

  突然腹の中に存在するはずの子供が恐ろしいものに思えた。

  夢の中で自分の腹が裂け、 何かが出てこようとしたときの恐怖が甦る。

 「い、 や………いやっ こんな………いやっ いやああ!!」

 「…っ! サラーラッ! よせっ ……誰かっ! 医師を呼べ!!」

 「いやっ いやあああっ!」

  急に錯乱したように自分の腹を叩き出したサラーラに驚いたファビアスが、 その体を押さえつける。

 「医師だっ! 早く医師を呼べっ!」

  ファビアスが医師を呼ぶ声が遠くに聞こえる。

  しかしサラーラはそんなことはどうでもよかった。

  自分を押さえ付ける腕を外そうともがく。

  体の中にある恐ろしいものを出してしまいたい。

 「サラーラっ サラーラっ! くそっ! 一体何が……っ」

  暴れるサラーラを自分の体で押さえつけながら、 ファビアスはその身を傷つけないようにと案じる。

  突然のサラーラの狂乱にファビアスもただ狼狽するだけだった。

  どうしてこんなことになったのかわからない。

 「サラーラ、 しっかりしろっ 俺を見ろっ サラーラっ!」

 「あ…あ…っ いやああ……っ!」

  必死に呼びかけるファビアスの声は、 しかしサラーラの耳には届かない。

  サラーラは自分の中の恐ろしい思いで一杯だった。

  僕は……汚れてしまった?

  サラーラの耳の奥では乳母の非難の声と哄笑がいつまでも続いていた。









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