楽園の瑕

 

50

 

 

 

   「子供………」

  サラーラは目の前のファビアスが嬉しそうにそう自分に告げるのを信じられない思いで聞いた。

  嘘だと思いたかった。

  この自分の腹に別の命があるなんて………

  自分の平たい腹を見下ろす。

  常と変わらない、 見なれた自分の体だった。

 「嘘だ………」

  呆然とつぶやくサラーラをファビアスがその腕に抱き寄せる。

 「俺と、お前の子供だ。 サラーラ、 よくやった」

  心底嬉しそうにそう言うファビアスの声は、 しかしサラーラの耳を素通りするだけだった。

  子供………そんな、 嘘だ………

  目の前が真っ暗になるような思いだった。

  自分の身に起きた未知の世界に恐怖する。

  嘘だ……嘘だ……

  体が震え出すのを止められない。

 「サラーラ? どうした、 また気分が優れないか?」

  かたかたと震え出すサラーラにファビアスが心配そうな顔をする。

  嘘………!

  自分を抱きしめるファビアスの腕にぎゅっとしがみつきながら、 サラーラは心の中で何度も何度も

そう叫び続けていた。







  周囲の様子が一変した。

  周りの皆がサラーラの身を気遣う。

  身の回りの世話をするものもノーザ一人からもう一人、 若い侍女が増えた。

  普通の女性とは違うサラーラの体を考え、 ファビアスは国中から名医を集め医師団を作った。

  彼らによる毎日の定期検診。

  「御子は順調のようでございます」

  サラーラの体を診た医師がそうにこやかに告げる。

  しかしその言葉をサラーラはまともに聞いてはいなかった。

 懐妊がわかってから数日が経った。

  だがその事実をサラーラはまだ受け止めきれずにいた。

  自分の体の中に新しい生命が宿っている。

  そう言われても見た目は何の変わりのない体に実感がわかない。

  ただときおり訪れる激しい吐き気と体のだるさが、 自分の体が常とは違うのだと

いうことを知らしめるだけだった。

  ファビアスは以前にもましてサラーラを気遣うようになった。

  始終上機嫌で、 ヒマさえあればサラーラの元を訪れる。

 「体を労われ。 具合が悪くなるとすぐに側のものに言うんだ。」

  サラーラを膝の上に乗せ、 飽くことなく嬉しそうにいつまでもサラーラの腹部を撫でる。

  しばしば吐き気に苦しむサラーラの体調を気遣い、 夜も彼をその腕の中に抱いて

ただ眠るだけになった。

 それがサラーラにとってまた不安をもたらす。

  すでにファビアスによって慣らされた体は、 彼の体温を当たり前のものと感じてしまっている。

  毎夜施された愛撫が、 あの激しいほどの行為が突然失われた。

  サラーラは心のどこかにぽっかりと穴が空いたような空虚感を味わっていた。 







 「サラーラ、 外に出てみるか?」

  体調が悪いせいでなかなか気分が優れないサラーラの気晴らしになればと、 ある日、 ファビアスは

サラーラを腕に抱きながらそう言い出した。

  不思議そうに自分を見上げるサラーラに甘い顔でキスを落とす。

 「医師達も少し歩いた方が腹の子供にいいと言っていた。 城の庭なら俺がいなくても安全だろう。

いつでも散歩していいぞ。 まだ花も咲いている。 いい気晴らしになる」

  ファビアスがサラーラに部屋を出ることを許したのだ。

  あの忌まわしい日から数ヶ月経っていた。

  サラーラが自分の子供を身ごもって、 やっと心の底から安心することができた。

  もうこの愛しい人間が自分から離れることはないと。

  サラーラの体調のこともあるのでそう長い間の外出は認められないが、 城内の庭先くらいならと

外に出ることを許す。

  ただし、 サラーラの側にはいつも護衛のための侍女と兵士が数人片時も離れず付き添っていた。

  それでもサラーラはかまわなかった。

  ファビアスの元から逃げる気は毛頭なかった。

  外に出ることさえあまり気が進まなかった。

  体調がなかなか優れなかったせいもある。

  疲れやすくなった体は、 ちょっとの散歩ですぐにサラーラを部屋へと帰らせた。

  何よりもサラーラ自身がファビアスの側から離れることに不安を覚えた。

  部屋の中にいる時はよかった。

  しかし外に出て見知らぬ人々の視線に晒されると、 途端に心細さを感じる。

  ファビアスや周りの皆はサラーラを気遣い、 体調の悪い彼の気がまぎれるようにと何かと

散歩や庭の花摘み等を勧める。

  しかしファビアスが不在の時は、 よほどでないとサラーラ自ら外に出ようとはしなかった。



 







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